神祓い 三章:神贄

 村の外れにある湖。直径約七百メートル程の湖の前に人が集まり始めていた。中には、少し前まで熟睡していた村人もいたようで、所々で大きな欠伸をしている姿が見受けられる。
「一体こんな夜中にどうしたんですか」「まだ例祭も遠いでしょうに、何故緊急の招集なぞ」「明日も仕事があるんですから、手短にお願いしますよ」などと、事情を理解していない村人から疑問や不平が漏れる。しかし「神勅だ」という大きな声が響くと、村人は一様に黙り込んでしまった。
「今日集まってもらったのは他でもない。本日やづち様が神勅を下されたのだ」
「小金丸さん、一体、どうしたというんです? 神勅だなんて」
 小金丸は質問した村人の方を向く。
「神贄の儀、だということです」
 村人がその言葉にざわつき始め、口々に状況を確認し始める。
「皆さん、お気持ちは分かりますが静粛に」
「何故です、神贄はまだ十年近くは先でしょう? それに、しきたりでは予め指名がある筈」
「確かに、最初は私もそう思いましたとも。しかし、のっぴきならない事態が発生したようです」
「その事態とは、一体?」
「よそ者ですよ」
「よそ者? それくらい別にいいではありませんか」「むしろ、歓迎するべきでは?」方々から疑問の声が上がる。
「只のよそ者ならば客として迎え入れもしましょう。ですが、彼らは別だ」
 村人の前に小柄な青年が引き連れられたきた。太である。太はキッと小金丸を睨みつける。
「この子は?」
 村人の一人が尋ねる。
「客士、などと申しましたかな。人でないものが起こす異質な出来事を解決するのが仕事だとか。まあそんなことは良いのです。大事なことは、やづち様が彼を連れてこい、と言ったことだ」
 再び村人達はざわつき始めたが、それを小金丸は手で制する。
 村人の一人が小金丸におそるおそる尋ねた。
「一体、何故その子を?」
「それは分かりません。ですが、島に渡ればやづち様が教えてくれるでしょう」
 連れて来られた太が暴れ始める。
「冗談じゃない! どうせ生贄か何かにでもするつもりでしょう、離してください」
「悪いな。だがやづち様の神勅なんだ、悪く思わんでくれ」
「思いますよっ! こんなの理不尽だ!」
「世の中理不尽なことだらけだ。それに何も君の命を奪おうってんじゃないんだ」
「はあ? それはどういうこと」
「何、島に着けば分かるさ」
 村外れの湖の中心に浮かんでいる小島がある。それは椎井島と呼ばれていた。
 外周一キロメートルほどの小さな小島で、中央に神社が存在する。椎井宮と呼ばれるこの神社は島の名前の由来ともなっており、八杉村に存在する神社はこの神社の分社にあたる。
「やれやれ、やっと大人しくなってくれたか」
 小島の船着き場まで波を切って走る小型ボートの上で小金丸は太に言った。他に体つきの良い男が数人、同乗している。
「ええ、抵抗したって無駄でしょうし」
「ほお、物分りがいいじゃないか。そうだ、理不尽だとか野蛮だとか人間個人の意志を尊重すべきだとか人権侵害だとか、インテリ連中は声高に謳うけどな、神様にとっちゃ関係ないんだ。憲法であっても逆らえない。なんせ、神様は人間より偉いんだからな」
「神様の判断が正しくない時はどうするんですか? 神様が間違うことだってあるでしょう」
「正しいか、正しくないかってのは人間の価値観だ。神様は人間の価値観で動いちゃくれない」
「話にならない」
 太は吐き捨て、顔を背けながら逃げる機会を伺った。逃げられない自身があるのか、幸い縄で縛られたりはしていないため、手足は自由に動かせる。しかし、迂闊に動こうものならすぐにでも縛られてしまうのだろう、太はそう考え下手に動けずにいた。
 太が様子を伺っている内に船は島に着いてしまった。
 島は中心部が盛り上がったような形状をしており、そこは木々に覆われて森になっている。そして、船着き場から1分もしない場所に暗がりでも分かる程くっきりした赤い鳥居が立っていた。
「付いてこい」
 太は前と後ろを守られるような形で鳥居をくぐり、少し先に進んだ所にある石階段を登っていく。
 階段を登った先は五十メートル四方ほどの広場になっていた。四方に篝火が焚かれており、奥の方を見やるとそこには巨大な岩が屹立している。そしてその下には手入れの行き届いた桧の祠があった。
 太は前を歩いていた小金丸に話しかける。
「それで、そろそろ話してくれませんか? 何故僕が神様に選ばれてしまったのか、僕を一体どうしようというのか」
「そうだな、いいだろう――」
 小金丸が振り返る。すると突然目をぎょっとさせた。
「どうしたんですか?」
 しかし小金丸は太の言葉を無視し、その場で静かに平伏してしまった。さらには太の後ろにいた男達までもが小金丸の視線の先にあるものを認めるや、同じように平伏してしまう。
 太は首をかしげ、村人達が頭を下げている先を振り向く。
「あ」
 思わず言葉が漏れた。
「不敬者め、私に頭を下げんとは。だが、良かろう。そんな些細なことをいちいちと気にするほど私はお粗末な神ではない」
 太の前に立っていたのは、夕方に公園で出会った着物姿の幼い少女、宮子であった。