異界手帖 三章:罠

「あの人です」
 人の行き交う道にて弓納がそれとなく指で指し示す。その先には、紺のスーツにブラウンの鞄を提げた男が遅いとも早いともいえない速度で道を歩いていた。尾行を気にしているのか、時折周りを見回すように頭をしきりに動かしている。その微かな間に窺える顔は浅黒く、少し健康的な印象を太に与えた。
「見た感じ、ビジネスマンが歩いているようにしか見えないけど」
「いえ、あれは少なくとも人間ではありません」
「それはまたどうして?」
「微かに漂う匂いや雰囲気が人間のものとは違うんです。具体的に上手くいえないのですが、人間と違ってもやっとするといいますか」
「凄いね、全く分からないや」
「いえ、そんな大げさなものではないです。それより、彼を見失わないよう気を付けましょう」
 二人がさりげなく男を見張っていると、男は徐ろに携帯電話を取り出して誰かと話し始めた。
「妖怪って、電話持つんだ」
「人間に近い個体なら十分ありえます。戸籍を持っている例もありますし」
「なるほど、興味深い」
「あ、どっか行こうとしています。追いましょう」
「あ、弓納さん。歩きながらでいいんだけど」
「はい、何でしょう?」
 太は潜めていた声を更に潜めて、弓納に話し始めた。