異界手帖 六章:思い出

「望月殿の要請によりこの度ご助力に参りました。弓司庁の日井です。どうぞお見知りおきを」
 無地の白のスーツに薄茶色のチェスターコートを着込んだ男は部屋に入るなり丁寧に挨拶する。
 それを見ていた天野は驚いた表情をする。
「弓司庁だって? なんでそんな所から」
「私が頼んだの。もちろん、この前の生野邸の一件のことで」
「だからって、彼処からわざわざ」
「少なくともそれだけ重要なことだと判断したわ、私は。どうかしら、日井さん?」
 聞かれて、コートを太に預け用意された座布団に座っていた日井は小さく頷く。
「望月殿のおっしゃる通り、この件は深刻なものと見なしています」
「そう思う根拠ってのはなんだ?」
「生野という男の特異性です。望月殿の提供される情報を鑑みる限り、彼はかつて大江御前と呼ばれた妖人で間違いないでしょう」
「大江御前、ですか?」
 脇にいた太が日井に尋ねる。
「はい。昔、高名な武人とその家来達によって退治された鬼がいました。しかし、その鬼には人間との間に子供がいた。その子はまだあまりに小さかったので、流石の武士達もそのような稚児を斬るわけにはいかず、最終的に見逃されることになりました。しかしやはり鬼の子、その幼かった稚児は長じて大江御前と名乗り、まるで魑魅魍魎の王のように振る舞い始めました」
「で、普通そんなのを朝廷も放っとけないだろうから、何かしらの対処をしたんだろう?」
「対処はするつもりでした。しかし彼を討伐する数日前になり、大江御前は忽然と姿を消しました」
「姿を消した、ですか?」
「そうです。理由は未だ不明ですが、それによって彼の元で結束していた魍魎達は雲散霧消し、ほぼ一晩の内に大江御前の勢力は影も形もなくなりました」
「ふん、経緯が謎だらけだな。あんたの話の後、身を隠していた大江御前は生野綱って名乗って実業家として成功したというわけだ。しかし何故今更になって人の世に出てきたのかね。いや、生野の家は確か江戸時代頃から、か。じゃあ、何代か代替わりしてる筈だから生野綱は大江御前本人ではないんじゃないか?」
「天野君、面白いことを教えてあげる。"生野家の歴代当主は生野綱只一人だけよ"」
「望月、確かに鬼だってんならずっと当主を続けること出来ないことはないだろう。だが、そんなに同じ人物が当主だと、流石に怪しまれるだろう」
「それはそうね。でも、生野綱はあくまで人間らしい慣習に則って生きてきたからほとんど誰にも怪しまれなかった。つまり、代替わりの時期が来れば"先代の綱"は隠遁と偽って姿を消したように見せかけ、"次世代の綱"として容貌を変えて跡継ぎと名乗る。時には当主代理を立てることもあったみたいだけど、大体はこんなからくりで今までやってきたのよ。もちろん、それでも拭い去れない不可解な点は出て来るだろうから、それを怪しむ者もいたのでしょうけど、そうした時のために何かしら幻術の類を使ってはいたでしょうけどね」
「なるほどな。ましかし、何だってそんな小細工までして人間社会に溶け込もうとするのかね」
「さて、そのあたりは本人に聞いてみない限りは測りかねますかな」
「まあそうだよな」
「さて、望月殿。大江御前、いや生野綱は今何処に潜伏しているか掴んでいるでしょうか?」
「いいえ、困ったことにまだ……」
「なるほど」
「すまんな、日井さん。折角ご足労かけたってのに」
「いえ、問題ありません。私の方でも調査いたします故、何か分かったら報告いたしましょう」