異界手帖 八章:鍵

「天野君」
 屋敷内の丘の上にいた望月は、離島から生野邸に戻ってきた天野と弓納を見るなり声をかける。
「日井さんはどうした? いや、その前にどうした、そんなに険しい顔をして」
 望月の顔は緊張感に満ちていた。少なくとも、あまり余裕のある顔ではない、と天野は感じた。
「日井さんは離島の方にいる筈よ。部下が残ってるらしいから、落ち合ってからこっちに来るみたい」
「そうか。大事ないのならまあいい。それで、何でそんなに深刻そうなんだ」
「そんなにキツイ顔してる?」
「少なくとも、いつものお前じゃないな」
「……上手く言えないのだけど、何だか得体のしれない複雑な気配を感じたの」
「嫌な気配、か」
「ええ。これ以上適切な表現は今は思い浮かばないわ。後は、大江御前の居場所に行ってみないとその正体が分からない」
「場所は補足出来たんですか?」
 横で聞いていた弓納が尋ねると、望月は「うん」と頷いた。
「さっき大江御前の強い力を感じた。結構はっきりしたものだったから、居場所はすぐに掴めたわ。多分、移動もしてない」
「ま、得体のしれない何かも気になるが、後は行ってみるしかないか」
「こっちよ」
 望月の先導で、丘から下っていく。
 屋敷を通り過ぎ、庭を横切った所にある建物の前まで来て望月は止まった。
「多分、舞踏会とかに使われる場所。今はもう使ってはいないだろうけど」
「確かここは一般開放されてるところじゃなかったか」
「そうね。今は閉じてるから誰も入れないけど、確かにここから気配を感じた」
 望月は片手に銃を構えて、ドアノブに手をかける。
「鬼が出るか蛇が出るか。楽しみね」
 ドアを開けて中に入った。
「……うそ」
 突然、望月が立ち止まる。後ろを歩いていた天野は望月にぶつかりそうになった。
「おい、急に立ち止まるなよ」
「……天野君、あれ」
 そこに倒れていたのは大江御前、生野綱だった。
 天野はそこに倒れている者を見て眉を顰める。
「死んだふり、なわけはないか」
「一体誰の仕業――」
「御機嫌よう、皆さん」
 大広間の二階から少女の声が響いた。反射的に望月は声のした方へ銃を構える。
「誰、姿を見せなさい」
「ええ、よろしくてよ」
 柱の影から少女が現れた。まだ十二を数える程のその少女は銃口に怯える様子もなく、薄っすらと笑みを浮かべている。
「たまきと言います。以後お見知りおきを」
「子供?」
 望月は呆気にとられる。
「ふふ。さあ、どうなのでしょうね」
「望月、流石の俺でも分かる」
 天野は眉を顰めながら望月に語りかけた。
「ええ、そうね。こんな状況でお上品に笑っているのは異常よ。それに、さっき言っていた得体の知れない気配、この子から感じるわ」
「なるほどな。おい嬢ちゃん」
「何かしら、おじさま」
「おじさまじゃない。一先ずこの状況を詳しく説明してもらおうか」
「説明?」
「ああ、そうだ。一番気になるのは何故爺さんが倒れてるかだな。これは一体どういうことだ?」
「そうね、答えてあげましょう。そこのお爺ちゃんが倒れているのは私と争ったから」
「おい嬢ちゃん、悪い冗談はよしてくれ」
「冗談ではなくてよ、信じられないかしら。そうね、さっき私が言ったことに説得力が必要だというなら、証拠を見せましょう」
 少女は軽く跳躍して二階の手すりの上に乗る。
「しっかりと見ていてくださいましね?」
 ニッコリと笑い、足が手すりを離れた。
「なっ!?」
 瞬きも許されない程の刹那、少女は天野の前に降り立っていた。
「冗談だろ」
 後退しようとする天野に少女は手にしていた短刀を突きつけようとするが、放たれた銃の咆哮がそれを阻止した。
 少女は軽く後ろに下がったが、望月は銃口を少女から離さない。
「少しは信じてもらえたかしら?」
 顔にかかった髪を払いながら、少女は言った。
「何故彼を殺したの?」
「物騒な人ね。殺してなんかなくてよ。ちょっと傷は深いけど、致命傷じゃない。彼は気絶してるだけ」
「そう、それは何より。それじゃあ、質問を変えましょう。何故彼と争うことになったの?」
「それは彼がある物を持っていたから」
「そのある物とは?」
「あら、祭宮さん。彼が何を持っているかなんてとっくに知っているんじゃなくて?」
「『真統記』、か」
「ふふ、そういうこと」
「そんなものを手に入れて何をするつもり? 失われた秘術を手に入れても世界征服なんて夢のまた夢よ」
「そんなものに興味はないわ。私の願いは只一つ」
 たまきは踵を返す。
「待ちなさい。まだ話は終わってない」
「機会があったらまた会いましょう。ああそれと」
 たまきは思い出したように振り返る。
「"鍵"を不用心に置いていてはいけませんわ。もっとしっかりと管理しませんと」
「鍵……ですって!?」
 望月が驚いた表情をしたが、たまきは意に介さずに入り口に向かって歩き出した。その体は薄紫の靄を放ちながら徐々に透けていき、やがて消えてしまった。
「く、しまった」
 望月は眉根を寄せて苦々しく呟いた。
「おい、望月。鍵ってのは」
「……太君のことよ」
 望月が苦々しく言い放った。