鬼姫奇譚 一章:鬼惑い

「ここか」
 天野は車を駐車場に止め、石段を登った先に建っている武家屋敷風の建物を見上げる。
 菅原市郊外にある閑静な住宅街、藤坂(ふじのさか)。藤坂は昔武士階級の人間が住んでいた地区で昔ながらの屋敷も多い。また、高台に位置しているためか意外と坂が多いことで有名な地区であった。
(さて、本当にこれで解決の糸口は見つかるのかね。きゃつのことだ。俺をけしかけて何かよからぬことを考えているかもしれん)
 まあ他に行く当てもないしな、などとぼそりと呟きながら天野は石段を登っていく。
 屋敷前入口に立ち、天野は門を見上げた。四メートルはあろうかという重厚な瓦葺きの屋根に少しくすんだ木の門の存在は、その家がどういう存在であるかを語るのに十分な威容を誇っている。
「やれやれ、大層なお屋敷で」
 天野は外観から測りうる屋敷の大きさに感心しながら門の脇にあるインターホンのボタンを押す。今時、こんな屋敷に住んでいるのはどんな人物なのか。天野は心ならずも興味を惹かれていることに気付き、少し苦笑した。
「はい? どちら様でしょうか?」
繋がったインターホンから聞こえてきたのは中年の男性の声。落ち着いた淀みのないその声はどことなく安心感を天野に与えた。
「失礼。紹介された天野ですが」
「お待ちしておりました。どうぞ、中へお入りください」
 そう言うや否や、門の扉が一人手に開いた。
「そのまま玄関の方へお越しくださいませ」
「ありがとうございます。それでは」
 玄関に着くと、短く刈り揃えられた品のある口ひげが特徴の男に案内され、応接間へと天野は通された。
「綺麗なもんだ。俺も、こういうのを愛でる余裕くらいは持たんとな」
 開け放たれた縁側から庭の方を見やり、天野はぼそりとつぶやく。庭からほのかに香しい匂いが漂ってくるが、おそらく、庭に植えられている木から出ているのであろう。
 天野が柄にもなくウットリしていると、着物の擦れ合う音が聞こえてきた。当主様のご到着か、と天野は姿勢を正し服装を整え、家の主人を迎え入れる準備をする。
 しかし、衣擦れの音は襖の向こうで止まったまま、何の反応もない。
 一体どうしたのか、天野は襖の方を見つめ、怪訝な顔をする。
「あの、どうされました?」
 耐えきれなくなって、天野は声をかけた。しかし、やはり反応はなかった。
「おかしいな、聞こえていないのか。あの! 一体どうした――」
「えいっ!」
「う!?」
 天野の目の前が突如暗くなる。一瞬、何が起きたのか分からず天野は困惑してしまった。
「どうでしょう。驚かれました?」
 可憐な花のような声がした。
「え、ええ。それはもう。色々と」
「うふふ。それはようございました」
 その無邪気な声を聞きながら、彼は意地の悪い知人から聞いていたことを思い出した。
――この千方院家の当主は悪戯が好きである、と。