鬼姫奇譚 五章:仙涯境

「しかし見たかんじ、なんの変哲もない場所にしか思えないが」
 滝裏にぽっかり空いた空間を窺いながら、天野は羽白に問いかける。
「私はこういう場所はいかにもというかんじがするけどね」
「まあまあ、二人共。それより入り口を開きましょう」
「それもそうですな。お二人共、少々下がってくだされ」
 羽白は目を閉じ、徐ろに何かを唱え始める。
 それに呼応するかのように、滝裏の岩壁に幾何学模様の光の流れのようなものが生じた。やがて岩壁の一角が徐々に消失していき、後には人二人分が通れるような洞穴の入り口が残った。
「こいつは驚いた」
「この洞穴が見えないように、ちょっとしたまじないをかけているんですよ。そもそもあの岩壁は只の幻覚なんだ」
「それだと、うっかりこの場所に来た物好きな通行人が入り口を発見してしまいそうだな」
「いいや、まさか。残念ながらそれはない」
「ほう、それは何故?」
「何故なら、幻覚で作り出した岩壁はたとい幻覚といえど"ここに現実として存在している岩壁"としてそこに在るからさ。つまりは、仮にここを通りがかる者がいたとして、偶然この入口の中に入ろうとしても、この幻覚が作り出した岩壁があると認識してしまう以上、岩壁にぶつかって入れない」
「なるほど。しかし随分と複雑なことをするんだな。扉なんてもっと単純な仕組みでいいと思うんだが。こういう複雑なものは不具合が起きやすい」
「それには概ね同感ですが、しかし、それだけ単純であるとその分、扉を突破されやすい。ろくでもない連中が勝手気ままに仙涯郷に入らないようにするには、鍵を堅牢にしてくことにこしたことはないのです」
「まあ、確かに」
「ささ、さっさと中に入ってしまいましょう」
 洞穴の中に羽白は入っていく。
「八重千代殿。お先に参ります」
「はい。では私は殿を」