ロストミソロジー 一章:白い髪の少女

 弓納小梅は市内の進学校に通う女子高生である。その日は生徒会の仕事や友人の部活の手伝いなどで忙しく、校門を出た時は夜の八時を回っていた。
 辺りには下校の途に着く生徒もほとんどおらず、ただ寂しく街灯が人のいない道を照らし続けている。
 穏やかな風が吹く中を歩いていた弓納はふと空を見上げる。空は既に暗く染まっており、月明かりが薄く夜空を照らしている。そういえば今日は降水確率が九十パーセントと言われていたのに、蓋を開けてみればなんてことはない、うっすらと雲がたなびいているだけで、快晴といっても差し支えないほどであった。
「傘、無駄になっちゃったな」
 そんな他愛のないことを呟き、弓納は再び歩き出した。
 本来なら校門を出てすぐの所にバスがあったのだが、八時ということもあってか必然的に本数が少なくなっており、弓納がバス停に来た時に次のバスが来る時刻は二十分後という有様であった。バス停を待つ間、本を読むのも悪くないとも思ったが、その日は何となく歩きたい気分だったので、次のバス停に向かって歩くことにしたのだ。
「あ、おばあちゃんに連絡しておかないと」
 弓納はふと気がついて携帯を鞄から取り出して、徐ろに電話をかけ始めた。やがて一分くらいの短い電話を終えて携帯を鞄に仕舞うと、「おーい!」と後ろから夜に似合わぬ快活な声が弓納を呼び止めた。
「寺山さん」
 声をかけたのは弓納のクラスメイトで友人である寺山であった。栗色のおさげの髪をなびかせていた彼女は乗っていた自転車を降り、弓納と歩を合わせて歩き始めた。
「珍しいね、こんな夜に一緒になるなんて」
「ほんとだね。お互いこんな遅くまで学校に残ること少ないもの」
「だね。ってあれ、小梅ちゃんってばバス通じゃなかった?」
「うん、バス通だよ。でも次のバスまで時間があったし、折角だから次のバス停まで歩いてみることにした」
「ああ、なるほどねえ。いいな、私もたまには文明の利器に頼りたいよ」
「いいじゃない、寺山さん家近いんだし」
「よくはないよ。そのお影でこうやって毎日足繁く自分の足で通わねばならないならないのです。はあ、坂道が辛い。いっそ原付きが欲しいな」
「あはは」
「そいえば、下宿先には今日遅くなるの伝えたの?」
「うん、連絡した。はあ、今日は遅くなっちゃうなあ」
「え?」
「ううん、何でもない。一人言」

 弓納は寺山と別れた後、バス停に乗って帰宅の途に着く、筈だった。しかし、彼女は下宿先近くのバス停には降りず、そのままその先にあるとある神社近くのバス停に降り立った。
 北宮神社、その鳥居の前に弓納は来ていた。腕時計を見てみると、時刻は既に九時近くを回っている。「やっぱり今日は止めておけばよかったかな」弓納はそう言いつつ、神社の階段を登っていった。
 百段程ある階段を登り終え、境内の脇にある明かりの付いた社務所の戸を開ける。
「こんばんはー! 弓納です」
 玄関先で声をあけると、すぐに望月が来て出迎えてくれた。
「ごめんね、遅い夜分に来てもらっちゃって」
「いえ、別に大したことじゃないです。おばあちゃんも私が"客士をしてる"の知ってますから」
「でもま、あまりおばあちゃんも心配させるのも悪いから、早めに用件を片付けてしまいましょう」
 望月は弓納をあげて広間へと赴いた。
「それで話って、何なのでしょうか?」
 弓納は明かりのついた広間に座りながら望月に尋ねる。最初に連絡が来た時は生徒会の仕事で忙しくて内容を聞く事が出来なかった。そのため、弓納は何も知らないままここに来ていたのだ。
「そうね、簡単に言うと、これからしばらくここで女の子を預かることになったの」
「はい?」
 弓納は首を傾げた。女の子を預かる? それは、文字通りの意味であろうか?
「文字通りの意味よ、小梅ちゃん。もう一回言うけど、ここで女の子を預かることになったわ」
「えっと、一体どういうことでしょうか? ここって神社ですよね」
「ええ、紛うことなき神社よ。託児事業を始めたわけでもないわ。でも、色々事情があって預かることになったの。そうね、実際に会った方が早いかしら。ちょっと待っててね」
 そうして望月は広間を後にする。
 女の子って、一体どんな子なのだろう。弓納はその子に思いを馳せる。弓納は北宮神社に四人いる客士の一人である。なのでその稼業柄、彼女がすぐに思いついたのは女の子が人間ではない、という可能性であった。
 人ならざるもの、妖異。これには様々なものがいる。噂や伝説といったあやふやなものから生じたもの。野生動物であったものが何らかの要因で霊長を帯びたもの。神が落ちぶれたもの。人間から生じたもの。
 そして、時に妖異という存在は人の世界に溶け込み、人間と何ら変わらぬ生活を送っているものもいるし、戸籍を持っているものすら存在することがある。
 今回預かることになったというその女の子もそんな類の子ではなかろうか? まるで人間のような妖異。それであれば、この神社で保護したことにも合点がいく。
 そんなことを思いながら二人を待っていると、とんとんと戸が軽く叩かれ、それから戸が開いて望月と、もう一人弓納の知らない女の子が入ってきた。
「紹介するわ、こちらがさやちゃん。まあつまり、今回こちらで預かることになった子よ」
 弓納は「よろしくお願いします」と深々とお辞儀をするさやを凝視する。
 綺麗だ。最初に生じた感想はそれだった。驚天動地の美しさ? 筆舌に尽くしがたい美しさ? 弓納は思いつく単語でそれを形容しようとしたが、やがて言葉で表現するには無理があると感じた。
「で、さやちゃん。こっちが弓納小梅ちゃん。色々と事情があってウチに来てる子。まあ理由は聞かないであげて。そこら辺色々と事情が複雑だから」
 弓納もさやに対して「よろしくお願いします。弓納です」と軽く頭を下げた。
「それでその、さやさんを預かることになったというのは、一体どういった経緯なのでしょうか?」
「そうね。じゃあ順を追って話すわよ」
 そうして、望月はさやを預かることになった経緯を話し始めた。道端で倒れていたこと、記憶をなくしていること、所々さやに補足をしてもらいながら弓納に伝えていく。
「なるほどですね、事情は理解しました」
「一応確認だけど、貴方はここで預かることには反対?」
「いえ、反対なんてことはないです。そうですね、気になることはありますが、私は賛成です」
「そう、良かった。さやちゃん、というわけなので少しの間かもしれないけど、ここを貴方の家だと思って過ごしなさい」
 といっても神社だから、決まりとかあるけどね、望月は付け加えた。
「よろしくね、さやちゃん」
 弓納が言うと、丁寧にお辞儀をした。
「はい、これからよろしくお願いします!」