ロストミソロジー 二章:素性

「誰かが解決したのかね」
 朝日の差し込む北宮神社の社務所の広間で、天野は誰にともなく呟いた。
「あら、学校はいいのかしら? 先生」
 望月が尋ねると、天野は気だるげそうに振り向いた。
「今日は講義が入ってないから、別に行く必要はないんだよ」
「ふうん、そうなの」
「それより、聞きたいことがあるんだが」
「何?」
「この辺りに最近客士が入ってきたことがあるか?」
「いいえ。プライベートでこっちに来てるならまだしも、"お勤め"でこちらに誰かが来たなんて話はないわね」
「ふむ、そうか」
 客士というのは北宮神社にのみにいる特異な存在ではない。日本各地に彼らは存在し、中には個人でやっている者もいるが概ねはその地域の客士院に所属していた。そうして彼らはお互いに自分達のテリトリーのようなものを築いており、他人のテリトリーの中で行動を起こすには、先ずはそこの客士院ないし客士に連絡を入れるのが慣習であった。
 しかし、今回についてはそれがなかった。通常は他の地域の客士が無断で異界騒ぎを解決するということになれば、正当防衛などそれなりの理由がない限り罰則の対象となることである。にもかかわらず、それが行われたということは、
「素人か、心得はあるが、そもそも客士ですらない者かね」
「天野君、さっきから話が見えないのだけど、どういうこと?」
「ああ、この前言ってた異界騒ぎの件だよ。俺が調査を始めた辺りからパタリと被害がなくなってしまった。だから、もう誰かが解決してしまったのかもしれんと思ってな」
「そういうことね。でも、さっきも言ったように誰かがこちらでお勤めするなんて話、聞いてないわよ」
「そうか。一応、協会にでも相談するか。ああ、話がこじれていくな」
 協会というのは客士達によって結成された協会である。正式には"霊地保全協会"と呼ばれるそれは客士による異界騒ぎ解決の円滑化を目的として設立されたもので、客士同士の間を取り持ったり、いざこざを調停したりする他、客士のテリトリーの管理や調整なども、ここが担っていた。
「しかし、こういうトラブルって本当に面倒臭いぜ。何と言っても、元々想定されてない事態だからな」
「でも、もし誰かがやったのならやっぱり対策はするべきよ。天野君、むしろ私が協会に連絡しましょうか?」
「ほお。お前が俺に優しいなんて、どういう風の吹き回しだ」
「あら、別に大したことじゃないわよ。単純な話、人の敷地内で勝手気ままにされるのは困るってこと」
「確かにな。じゃあ悪いな、頼むわ望月」
「はいはい」
「おお、そうだ。さやちゃんは今いるか?」
「いいえ。さやちゃんなら、今出かけているけど」
「なんだ、そうか」
「あの子、最初は家からあまり出なかったけど、元は結構活発な子みたいね。小梅ちゃんと出かけた日から、外に出るようになったわ。でもどうしたの? 貴方そんなにあの子に関心はなかったじゃない」
「いやな、先日大学前で女子高生に話しかけられてな。その子が"髪の白い女の子を探している"なんて言ってたから、つい気になったんだ」
「それほんと? じゃあ、さやちゃんのことは話したの?」
 望月は思いの外食いついた。おそらくさやの身元特定が一向に進んでいないのだろう、そう天野は思った。
「まさか。素性が知れない奴に話したりするものかよ」
「それはまあそうね。じゃあ、その子の名前とか、連絡先は聞いてみればよかったじゃない。それは聞いてないの?」
「それもまさかだ。こんな見ず知らずの男がそんなこと聞いてみろ。あっという間に公僕の厄介になっちまうよ」
「確かにそうね」
「それにしても、何か嫌な予感がするな」
「嫌な予感って、具体的にどんな?」
「いやな、具体的なものじゃないんだが、こう、俺の第六感とやら告げているんだ。曰く"お前はロクでもないことに巻き込まれつつあるぞ"ってな」
 それを聞いた望月は「はあ、馬鹿馬鹿しい」と呆れたように言った後、広間を出ようとしたが、それを天野が呼び止めた。
「今回は割と真面目だ。俺も手が開いた時にさやちゃんについては調べてみる」