ロストミソロジー 六章:炎の巨人

「弟は半人半神ではあったけど、子供、そのまた子供と代を重ねていく内にその血は薄れていき、俗に神代ではなく歴史として語られている時代に至って子孫は遂に人と何ら遜色ないまでになってしまった」
 勘解由小路は淡々と話続けた。結は天野を見るが、彼は無表情のまま黙って耳を傾けているようで、勘解由小路を見たまままるで石像のように微動だにしない。
「ねえ、勘解由小路さん」
「はい、何かしら。お嬢さん」
「話の腰を折って申し訳ないのだけど、兄さんはどうなったのかしら」
「……ああ、それ。"気付いちゃった"? 講談的に退屈しないように後に取っておくつもりだったのに、話って難しいな~」
「ごめんなさい。やっぱり余計なこと言っちゃった」
「構わないよ。うん、そうね。兄は死んでなんかなかった。半分神様って生命力も凄かったんでしょうね。まあ記録がないから戦いによる傷がどれくらいのものか分からなかったけど、とにかく兄は生きていた。生きて、生きて生き続けた。そうして何者でもなくなった彼は、今はこう名乗っている。即ち」
「天野幸彦」
 天野は告げた。彼は後頭部をかきながら、忌々しそうに勘解由小路を見る。
「遠い昔のこととはいえ、やっぱり過去を暴かれるのは良い気がしないな。色々と嫌なこと思い出しちまった」
「そう? 私は面白かったわよ」
 結はにっこりと笑うと、天野は思わず苦笑いする。
「天野幸彦、貴方がこれまでどのような来歴、変遷を経て今に至ったかは知らないけど、にっくき弟君の築き上げた国に対して尋常な気持ちではいなかった筈。そしてそれは、貴方がさやと一緒にいたことによって確信に変わったわ。ああ、やっぱりこの人は許してなんかないんだろうなって」
「許してない、か」
 天野は苦々しく笑う。
「嬢ちゃん。やっぱりあんた、ちょっと妄想が過ぎるぜ」
「非道いな。想像力が豊かだって言ってほしい」
「俺は別にこの国を支配するだとか、そんなことに興味はない。何だってそんな面倒な生活に今更逆戻りしなければならないんだ。苦痛だよ、それは。そんなことより、もうちょっと気楽で優雅な生活が出来るご身分になりたいね。王様より大富豪、大富豪より富豪がいいに決まってる」
「さて、どうだかね」
「ねえ、勘解由小路さん」
「何かな、結ちゃん」
「このおじさまをよーく見てみて」
「はあ」
 勘解由小路は天野をまじまじと見つめると、天野はばつが悪そうに目を逸らす。
「よーく見たけど、それがどうしたの?」
「こんなしおれた方が、今更大それたことを考えるような人に見えるかしら」
「あー、それは」
 勘解由小路はチラと天野を見る。改めて見ると、なんて厭世的な顔をしているんだろうか。常日頃より世の中を穿ってみたくて仕方がないという顔をしている。
「まあ、見た感じ全然そうは見えない」
「そうよ。仮に国を乗っ取ったとしても、三日天下どころか、一時間で瓦解するわ。そんな顔をしてるでしょ」
「確かに、言われてみれば」
「お前ら……」
「い、いいや。騙されない。詐欺師はいかにも善人ぶって人を騙すんだ。まるで貴方の味方だー、みたいに近づいてきて、最後に手の平を返す。貴方だってそうよ。本当に演技がお上手だこと」
「そう。じゃあ、これならどう? 貴方をこれから解放する」
「な」
「もし何か良からぬことを考えているんだったら、時間をかけておじさまのことを嗅ぎ付けてしまった貴方の記憶を消してしまうなり、書き換えてしまうなりしてしまえば後々楽じゃない? 弓司庁に報告される心配もない。それをこれから解放するというのなら、貴方に対して何も後ろめたいことはないということ」
「おい嬢ちゃん」
「いいえ、分かってるわよ。勘解由小路さん。だけど、何も見返りなしにというわけにはいかない」
「ふむ、何がお望み?」
「二つ条件があります。一つは、おじさまをもう襲わないこと」
「うん、いいよ。少なくとも、私からは仕掛けることはもうしない」
「じゃあ、これに印を押してくれるかしら」
 そう言って、結は何処に置いていたのか手にしていたバッグから二つ折りの薄い紙を取り出し、勘解由小路の前に広げた。
「あー、なるほどね」
 式臣の術。特定の単純な命令に対して絶対服従を誓わせる呪術。式神の原型の一つとも言われている。
「おじさま」
「へいへい」
 天野が指をクイと動かすと、勘解由小路の右手は一人出に動き、結から渡された筆を受け取って紙の前で止まった。
「さ、これから先は貴方の意思で書かないといけないから」
「右手首から先だけ動けるようにしてる。それなら書けるだろ」
「あーあ、ちょっとチャンス窺ってたのに、隙がないね」
 勘解由小路は、はあ、と軽くため息をつき、大人しく筆を走らせた。
「これで終わり。血もいるでしょ」
「そうね。ごめんあそばせ」
 そうすると、結はバッグから小さなナイフを取り出し、勘解由小路の人差し指の先を少しだけ切る。それから、勘解由小路は指から滴る血で紙に"署名"を施した。
「さ、これでいいのでしょう?」
「ええ、これで貴方はもうおじさまを襲うことは出来ない」
「呪われたみたいであんまり良い気はしないけどね」
「仕方がありませんわ。こちらも保証がほしいもの。さて、二つ目いいかしら」
「はいはい、何なりと」
「さやちゃん、ですっけ。私は会ったことないのだけど、その子について教えていただけないかしら」
「う、それは」
 勘解由小路は目を泳がせる。
「ごめんなさい、それは勘弁してほしい」
「いいえ、駄目です。貴方達が血眼になって探し回っているその少女が何者なのかをおじさまは知る権利があります。だって、その少女の存在が訳も分からないまま因縁を付けられてしまった一因なのですから」
「それは、そうなのだけど」
「ちなみに」
 結は紙を指し示す。
「材質にもよりますが、薄い紙というのはおしなべて下へ滲んでしまうものです」
 それがどうしたというのか? 勘解由小路はその発言の意図が掴めずに困惑していたが、「あ」とそのことに気が付いた。
「ごめんなさい。あの時、貴方には二つの契約をしていただきました。一つは、金輪際天野幸彦を襲わないこと。そしてもう一つは、そう、さやという少女について荒いざらい話すこと」
「謀ったね。本当に、油断も隙もない」
「本当にごめんなさい。こんな詐欺まがいのことはしたくなかったのだけど、こうでもしないと貴方は教えないかもしれないから」
「貴方は間違ってないわ。これについては、うっかりこんな初歩的なフェイクに引っかかってしまった私に落ち度がある」
「そう言ってもらえると、私も少し罪悪感が和らぎます。さて、どうしますか? 強制的に話させることも出来ますが、出来れば、貴方の意思で自分から話してほしい」
「あー、仕方がないなあ。これ秘密にしといてよ」
 勘解由小路は大げさに俯きながら言った後、静かに顔を上げた。
「では私の知っている範囲でお話しましょう、さやと呼ばれている少女について」