ロストミソロジー 十四章:さや

 さやの完全な目覚め、そして彼女を頂点とする滅び去った神話体系の再生。それがこの国に与える影響は計り知れないものになるだろう。しかし、成し遂げねばならぬ。己、ひいては滅んでいった者達の誇りと尊厳を取り戻すために。
 それは遥かな過去より連綿と続く一族の願い。それは、気がついたら自分の願いとなっていた。ひょっとすると、その願いは何か遺伝子にでも刻み込まれていたのかもではないのかと思える程、自分はそれを自然に受け入れた。いや、そもそも自分の願いなのだから、受け入れるも何もない。もしかしたらそれは世間から見れば呪いのようなものなのかもしれないが、そんなことは自分にとってはどうでもよかった。
 今、何より優先すべきことはさやなのだから。
「どうした、本居。呆けているとは、お前らしくもないな」
 さやは首を傾げる。
「いえ、申し訳ございません。つい感傷に耽ってしまいました」
「叱責したわけではない。いいのだ。それより見よ」
 そう言って、さやは両手を広げて軽やかに一回転する。
「どうかね。このような舞台なら何かを始めるにはうってつけだとは思わぬか」
 さやはそう言った。
 花を象ったかのような文様で床が構築されたその円形の空間は、半径数百メートルを下らない広さを持っており、外界からもその存在がはっきりと認識出来る程度の規模を誇っていた。
「それとも、お前はこういう直截的で綺羅びやかな演出は幼稚な少女趣味とでも思うのかな」
「いいえ、そうは思いませぬ。宝石の価値は人間にとって普遍的なものです。ましてこのような神威に満ちた宝石の如き煌めきを幼稚だなどと、どうして思いましょうか」
 さやの問いかけに、本居は抑揚のない声でそう答える。
「無理せずともよい。お前が本音を申したからと言って、腹を立てる私でもない」
「無理と申しましたか、それこそ心外です。これは心からの言葉、貴方に嘘を言う理由がない」
「そうか。それは何よりだ」
 そう言って、さやはふと視線をある一角へと向ける。そこには、仰向けに倒れている望月の姿があった。
「詠子よ。お前はもう少し思慮深い女だと思っていたが、いささか無謀に過ぎたな」
 言葉が投げかけられるが、倒れている望月からは返答がなかった。さやは望月の方へとゆっくりと歩いて行く。
「未だに分からないことがある。何故お前は私を保護したのか。確信はなくとも薄々私の正体についてはある程度の所まで勘付いて居た筈だ。なのに何故、私を匿った」
 さやは視線を落とす。やはり望月は微動だにしない。
「私が何者か憶測はつけながらも、あの時私のことを保護し、真摯に接してくれた。しかし、私に与するというわけでもない。このささやかな矛盾が、私は気になって仕方がないのだ」
 そう言って、さやは静かにしゃがみ込む。
「さあ、教えてくれ。その真意を――」
 その刹那の出来事であった。さっきまで倒れた彫像の如く静止していた筈の望月はいつの間にか体を起こし、銃をさやに向けた。
 しかし、その次に起きたのは銃声でもなく、膠着でもなかった。
「まさか、そのような子供騙しを行うとはな。いよいよ進退極まったといったところか」
「残念。割と行けると思ったのに」
 銃を弾き飛ばされ、無防備な状態の望月が弱々しく呟く。
「それで、さっきの答えを聞かせてほしい」
「そんなもの、答えは単純よ。ただ単に、貴方のことが放っておけなかったから」
「ふむ。やはり煮え切らない回答だ」
 さやは踵を返す。
「あら、いいのかしら。私のことを放っておいても」
「今更お前に何が出来るというのだ。強気な態度だが、そうしているのがやっとではないのか」
「くっ」
 望月は歯ぎしりをする。確かにさやの言う通り、自分は今こうしているのが精一杯である。それでも、さやが近付きさえすれば何とかしようもあったが、それも叶わなくなってしまった。
「さや」
「ん、何だ、本居」
「この女は危険かと」
 さやはその言葉に怪訝な顔をする。
「失礼ながら、今回彼女に慢心があったように思われる。そのためのあえなくこの結果へと行き着いたのかと。しかし、この女を見逃せば、いずれは。」
「だとしたらお前はどうするべきだと思うのだ。申してみるがよい」
「ええ、答えは単純です」
 そう言って、本居は懐から銃を取り出す。
「後々の憂いとならぬよう、今ここで確実に仕留めてしまうのです」
 そうして本居は深呼吸をしてから静かに撃鉄を起こして、銃口を望月に向ける。
「貴方、随分と物騒なことを言うようだけど、人を殺めたことなんかないでしょう」
「だから、何だと言うのですか」
「命乞いするわけじゃないけど、取り返しが付かなくなるわよ」
「ああそれで構わないませんとも。私は、いや、我が一族はこの時のために生きてきたのだから」
「そう。一族の悲願ってわけ」
「そういうことです。祖先が遺した願いはこの血脈に脈々と流れ続けている。この願いを自覚した時期は覚えていない。気が付いたら、私の願いは祖先が遺したものになっていた」
「呪いだとは、呪縛だとは思わなかったの?」
「特には」
「そう、そんなものなのかしら」
「さて、いと貴き月の民よ。どうか祟られませぬように」
 本居が引き金を引こうとする。しかし、「止めろ」というその圧倒的な強制力を持った言葉が本居に投げかけられる。
「もう良い。お前が私のことを真摯に考えていることはよく分かった」
「しかし」
「もし詠子を捨て置くことが私の破滅につながるのなら、それでも構わぬ。銃を下ろしなさい、本居」
「貴方がそう仰るのであれば」
 渋々本居は銃を下ろそうとした時だった。手に持っていたそれは瞬く間に錆びついていき、やがてアンティークをとうに通り越してまるで地中から発見されたかのような古物へと姿を変えてしまった。
 あまりの突然の出来事に驚きの色を隠せない本居は本能的な危険を感じて辺りを見回す。そうして、ある一点が目についた。
「少年、これは君の仕業、ですか」
 恐る恐る尋ねる本居に、「さて、どうでしょう」と答える声がした。
「え」
 望月は振り向いてこの祭壇の入り口の方を見る。そして我が目を疑った。
 そこに立っていたのは太であった。
「太、君?」
「ええ、太一です。望月さん」
「何で、貴方がこんな所に」
「そんなのは決まってます。さやに会うためです」
 太は望月からさやの方に向き直る。さやはその闖入者に特に驚くこともなく、ただ静かにそのあどけなさの残る青年を見つめていた。
「やあ、さや。数日ぶりかな」
「はじめ」
「君の目的を理解したよ。といっても、そのためにこれから具体的に何をしようとしているのかまでは分からなかったけど、現状の有様を見ている限り、あまり良くないことをしようとしていることだけは理解出来るよ」
「だとしたら、どうする?」
「もちろん僕は君を止める。そのためにここに来たんだ」
 それを聞くと、さやは耐えられなくなったかのように笑い出した。
「本当に言っているのか。はじめ、お前は自分の言っていることを理解しているのか」
「もちろんだよ。大真面目さ」
「お前が少しばかり呪術に通じているのは知っているよ。本居はあくまで普通の人間だから、お前が放った呪詛に気付けなかったのも無理はなかろう。だけどねはじめ、それで気を大きくしてはいけない。お前は――」
 ふとさやは足元に違和感を感じた。視線を落とすと、自分の足に影絵のような手がいくつもまとわり付いていることに気付く。
 さやがその影の出処を辿っていくと、そこには太。
「もちろん僕は自分の力の無さを知っているよ。本当だったら君どころか、そこらのチンピラにだって勝てないと思う。だったら、ちょっとの間だけでもいい、普通じゃない方法で君や望月さん達に追い付けばいい」
「太君、まさか」
 望月は狼狽える。太はそんな望月の様子を横目に見る。
「ごめんなさい、望月さん。でもこんな方法しかなかった。後でいくらでも怒られます。でも、この判断を間違えたなんて思っていません」
 影が焼き切れた。さやの足元にまとわり付いていた手が引いていく。さやは怪訝な顔をして、太を見る。
 自分をして気付かせなかった。原始的だが、最早これは人の領域にある者が行使するものではない。こんなものは、人が使ってはいけない。
「『真統記』だよ」
「しんとう、き?」
 さやは眉根を寄せる。そして、不意に思い出した。
 確か、以前本居が言っていた気がする。『真統記』とは、この国の秘されたもの全てが記述された禁書だということを。秘されたもの、とはともすれば"失われた呪術"や禁術を含んでいるのであろう。「失われた神史、歴史がそこにはある。無論、貴方のことも記載されているらしい。あくまで都市伝説、噂でしかないのですが」とも本居は言っていた。
 自分のことが記載されているのだから、後の時代に生まれたものなのだろう。しかし、何故今その書物の存在を太は言ったのであろうか。さやは考えを巡らせ、そしてとある結論に行き着いた。
 太はその書物の在り処を知っていて、失われた呪術ないし禁術を習得したのではないか? さっきのは、おそらくその中の一つ。しかし、そんなものは並の術者がかんたんに会得出来るものではないだろう。下手をすれば、身の破滅を招きかねない可能性だってある。
「一体それが、どうしたというのだ」
「さや、『真統記』には今に伝えられていないような呪術やそれに類する類のものが存在しているんだ」
「ああ、さっきの珍奇な術もその類か。だが不可解だ。そんなものはそこにいる詠子であっても三日四日で習得出来るような代物ではない筈だろうに。一体どういうカラクリだ」
「とても簡単なことだよ。『真統記』にはね、一時的ではあるけど即席でその叡智の一端を自分にインストール、取り込むことが出来る術があるんだ」
「そんなもの、それではお伽話のデタラメな魔法だ。こんな場所で冗談を言ってくれるな」
「冗談じゃないよ。それに僕だってそんな都合の良いものがあるなんて思ってもない。そんなものがあるなら、わざわざ”代償”を払ったりなんかしないさ」
「代償? だって」
「ああそうさ。今はカモフラージュしてるんだけど」
 そう言いながら太は片方の目を手で覆った後、再びその目を見せる。
「この通り」 
「……成程。"片目を代償として差し出した"のか」
「そういうこと」
「何てことを」
 そう言って望月は項垂れた。そんなことは、この青年が抱えるべきものではないのに。
「どうしてそこまでするのかね」
「もちろん君を止めるためだ。じゃなきゃ、君は多くの人を傷付けてしまう」
「仮にそうだとしても、はじめ、何もお前が私を止める必要はないだろう」
「さや。僕は客士だ。僕が君を止める理由なんてそれで十分だ」
「そうか。野暮ったいことを聞いて悪かったよ。だがなはじめ、お前の目的は叶うことはないぞ」
「どうかな、やってみないと分からない」
 太の手から文字のようなものが生き物のように這い出してきて、それは、本居と望月の周りを覆い出した。
 さやはそれを見て目を見張る。
「フミツカミの、結界か。面白いことを」
「巻き添えを食わせるわけにはいかないから。ついでに言うと」
「本居の邪魔も入らない、か」
「まあね」
 太は再びフミツカミをその手から出し、それを脇差程度の刀に変えた。
「フミツカミで作ったものなら神霊にも届く」
「そうだな」
「行くよ。疲れてるからって遠慮しない」
「余計なお世話だ」