ロストミソロジー 終章:後日談

 冬が過ぎ、終わりと始まりを匂わせる花の芽吹く季節となった。
 街は相変わらず、日々微量の変化を伴いつつも、いつもと変わらない相貌を呈している。
 街を行き交う雑踏、信号を渡る人々。電車から降りてそそくさと学校に向かう学生。
「宗像さんの誘いだから来たのですが、実はこの時期はあまり外に出たくないのです。出来れば、自宅か大学に篭っていたい」
 太は思わずぼやいた。
「太。またそんなことを言ってるのか。お前は誰かが誘いに来なかったら本当に自宅に篭りきってしまいそうだな」
 太と歩く宗像はやれやれと後頭部を指で掻く。
「いいんですよ、それで。最低限の食料さえ備蓄しておいてこの時期を乗り切るんです」
「何でこの時期がそんなに嫌なんだ、お前。いい季節じゃないか。暖かいし、桜は綺麗だし、気持ちをリフレッシュ出来る時期だと思うんだが」
「それは確かにそうです。だけど、そういう表面的なことに付随する様々なことが憂鬱なんです」
「憂鬱って、例えば?」
「春休みの学生が多いこととか。何っていうか、彼らは輝いていて自分という存在が惨めに思えてくるんです」
「お前ってやつは、全く。そら」
 宗像は太の背中を軽くぽんと叩いた。太は突然のことで困惑した表情で宗像のことを見た。
「これから花見に行こうってのに、そんな景気の悪いこと言ってどうするんだ。ま、他人と比較してちゃきりないぜ。気楽に行こう、気楽に……何故そこで笑う?」
「いえ、宗像さん人生楽しそうだな〜って思うと、何か自然と笑ってしまって」
「つくづくお前の笑いのツボもよく分からん」

 西公園は川沿いにある公園である。桜で有名な所で、例年春になると花見をする客で溢れかえっている。
 太は大学の集まりで宗像と一緒に西公園まで赴いていたが、この日は休日かつ満開ということもあってかまだ午前中だというのに普段では考えられないほどの人の多さで、当然の如くブルーシートを敷ける場所は既になくなってしまっていた。
「しかし何故にわざわざ休日になったんですか」
 太が少し人の多さに辟易しながら、宗像に尋ねた。
「仕方がないだろう。皆の予定を都合したら、この土曜日が一番最適だったんだから。ほら、はぐれるなよ」
 太は歩きながら辺りを見回す。
 若者と壮年の人が混ざったグループが談笑に花を咲かせ、若者が苦笑している。社会人の集まりなんだろう、と別の所に目を向けてみると、白髪混じり、あるいは白髪の男性、女性の集まりが静かに話を弾ませていた。別の所では、若者だらけのグループが油っぽい料理やおそらく酒の注がれた紙コップを片手に写真を取り合ったりしている。
 太は人が多い所はあまり好きではないが、こうした雑多な人が集まるような場所は好きであった。生きてきた年代も送ってきた青春も異なる人達、それが同じ所に集まり、それぞれが思い思いに楽しんでいる。そんな光景が何故だか昔から好きだった。ひょっとすると、それは物語のキッカケになりやすそうな場だと感じるからなのかもしれない。物語というものは得てして静かで平和な水面に石を投げて波紋を呼び起こすようなものだ。そして、そのようなことが起きやすいのは価値観や生きてきた環境が違うような異なるタイプの人間同士が出会った時だったり、ハレの日だったりする。この場は、その意味でまさに物語が起きそうな場所であった。
「あら、はじめ」
 聞き覚えのある女の子の声がした。振り返ると、そこには小学高学年か中学生くらいの女の子が立っていた。
「えと、たまき」
「奇遇ね。こんな所で会うなんて」
「おーいおおの、って、あ」
 いつの間にか横を歩いていた太がいなくなって振り返った宗像も、たまきの存在に気付く。
「結ちゃんか。久しぶりだね」
 どことなく宗像が上機嫌になっている気がする、と太は思った。まあ、そのことは皆には秘密にしておこう。彼の名誉に関わることだろうから。
「ええ、宗像。お久しぶり。二人もお花見に?」
「そうそう。といっても男二人じゃなくて大学のやつらとだけどね」
「ふふ、楽しそうで何よりね」
「結ちゃんは?」
「私? 私はお父さんとそのお友達とよ。同じくらいの子もいるから、それなりに楽しくやってるわ」
「そっか、坂上のおじさんも来てたんだね。おじさんによろしく言っといてよ」
「ええ。分かったわ。代わりと言ってはなんだけど、後でそっちの方にお邪魔してもいいかしら」
「えっと、それは」
「ああ構わないよ。そん時は携帯で連絡してくれ」
 躊躇する太の体をその逞しい腕でがっしりホールドして牽制しながら、宗像はたまきに言った。
「ありがとう。それじゃあ、また後でね、二人共」
「ちょっと、宗像さん」
「ん、何だ?」
「何だじゃないですよ、大学生の花見に子供を巻き込むなんて。もう酔っぱらった状態の佐々木さんとかが絡んだらどうするんですか」
 佐々木さんというのは眼鏡が印象的でおっとりし大学院生の女性であるが、酔っ払うとやたら絡んでくるので有名な人であった。例に漏れず、今回の集まりにはそうした酔っぱらいになる可能性のある人物が何人かいた。
「大丈夫だって。流石に佐々木さんも子供に絡んできたりしないよ。それに、俺がそこら辺見張っとくからさ」
「一人だけじゃ心許ないですので、僕も一応協力します」
「そうか。悪いな」