鬼姫奇譚 四章:遠い日の思い出

「でも気付かなかったわよ。まさかあの目立つ容姿をしてはいないとは思ったけど、学生として生活を送っていたなんて」
 日夏は驚きと呆れた感情が入れ混じったかのような口ぶりで言った。
「驚いた? いえ、むしろ驚いたのはこっちね。アリスちゃん、てんで違う方向に向かって突き進むんだもの」
「自分の容姿を変えられるなんて知らなかったもの……大人しく本の姿になってるんだと思ってたわよ」
「まさか、戻るものですか。それで大人しく本棚に収まってたら私があそこから出てきた意味がないじゃない。それにしても」
 芥川は弓納に方に顔を向ける。
「弓納さん。折角何回か警告したのに、本当に頑固な子ね」
「それは失礼。警告が優しかったもので、ついつい深入りしてしまいました」
「あら強気ね。でも好きよ、そういうの健気で」
「それはどうも。芥川さん、貴方への疑問は色々とあるのですが、それは一先ず置いておきましょう。ええと、日夏さん、どうすればいいんでしたっけ?」
「大方"私を連れ戻しに"来たんでしょう? アリスちゃん」
「その名前で呼ばないで。私はもう子供じゃないんだから」
 それを聞くと芥川は少し寂しそうな表情をした。
「そうね、ごめんなさい……日夏さん」
「弓納さん、ありがとう、ここまで付き合ってもらって。でももう大丈夫よ。あの子の言ったように、私は連れ戻しに来たの」
 日夏は芥川に向かってゆっくりと歩き始めた。
「ねえ、もう気が済んだでしょう? 家出ごっこは終わりよ」
 日夏の手が芥川の手に触れようとした時であった。
「嫌よ」
「え」
 突如紙の濁流が押し寄せ、芥川を守るようにその周りを漂い始めた。咄嗟に手を引っ込めていた日夏は眉根を寄せる。
「このワガママッ!」
「我がままで結構よっ! 折角退屈なあの書庫から出られたのに、どうしてまた戻らないといけないの」
 壁紙が剥がれ落ちていくように図書館の風景が変わっていく。そして貼り変わった風景は、図書館ではあったが、全く別物のそれになっていた。バロック様式を思わせる空間には灯がぽつぽつと灯り、書架立ち並んでいる。上を見上げれば空中には本が漂い、窓からは月光が差し込んでいた。
 受付の場所にあたるのか、ぽっかりと空間の開いた場所で日夏は芥川の姿を探し求めて辺りをきょろきょろするが、何処にもその姿を認めることは出来なかった。まるで館内放送かのように、図書館に芥川の声が響く。
「ようこそ私の図書館へ。そしてごめんなさいね。さっき私は本だと言ったけど、正確にはこの忘れられた図書館の管理人であり、同時に図書館内のあらゆる所蔵物にアクセス出来る端末でもあるの。時間ならたっぷりとあるから、どっぷり浸かってもいいわよ。リクエストがあればすぐにお答えするわ。さあ読書に耽りなさい、外の世界のことがどうでもよくなるくらいにね!」
「ソフィー! 貴方何処にいるの、出てきなさいっ!」
 日夏が声を一杯にして叫ぶ。
「日夏さん。駄目よ、図書館ではお静かに。あ、朗読するのは構わないわよ。でも気を付けてね。声に出して読んだらいけないものも多いから、ここの子達」
 それっきり、芥川の声が途絶えてしまった。弓納と日夏は顔を見合わせる。
「これは、一にも二にも芥川さんを見つけ出さないとどうにもならなさそうですね」
「ええ、とにかく、ここにいてもしょうがないわ」
 日夏はそう言って書架の立ち並ぶ通路の一点を指し示す。
「あっちに行ってみましょう」