鬼姫奇譚 四章:遠い日の思い出

 道行く通路の壁は本棚になっており、重厚に装丁された本が並んでいた。壁の合間には窓があり、そこから光が差し込んでいるが、外は何処のものとも知れぬ西洋風の屋敷の庭が眼下に広がっているばかりである。所々に本が浮かんでいるが、何が起きるか分かったものではないので日夏も弓納も迂闊に触ろうとはしなかった。
「あの、日夏さん」
「何?」
 先導して先を進んでいた日夏は弓納の方を振り返る。
「芥川さんと昔何があったんですか?」
「……」
 日夏は一瞬だけ俯いた跡、弓納の質問には答えず再び前を歩き始めた。
「あの、日夏さん?」
「昔ね、私、友達がいなかったの」
「そうなんですか? 意外です」
「ははは。それで、よくひい爺ちゃんの書斎に入り浸ってた。楽しかったの。小難しい本ばかりだったんだけどね、少しは子供でも読めるような本置いてて、興味のありそうな本を見つけては読み耽って、よく親に怒られてたっけ。それでいつの日だったか、いつもと同じように書斎に行ってみると、あの子がいた」
「それが、芥川さん」
「うん。でも、最初観た時は分からなかった。あの子、前はもっと幼くて、髪の色も違ってたから」
「元は本だから、容姿はいくらでも変えられるのかも」
「そうかもね。でね、あの子、ビックリしている私にこう言ったの。『私の名前って何だったっけ? 教えてください』って。意味が分からないでしょ? そんなこと私が知るわけないじゃないって言うと、あの子何って言ったと思う? 『じゃあ、名前を付けて頂戴』だって。もう二重にビックリよ、いきなり名付けろだなんて。親になったこともないのに。それでしょうがないからね、あの子に咄嗟に思いついた名前を付けてやったの。それがソフィー。彼女はよく私の話相手になってくれた。辛い時とか苦しい時とかなんか、よく知らない偉人の言葉なんか引っ張り出して励ましてくれたっけ」
「昔から優しかったんですね、芥川さん」
「そうでもないよ。同じくらい、意地悪い所とかあって時々面食らってたし」
「ははは」
「笑い事じゃないって!」
「ごめん。でも、不思議に思わなかったんですか? 芥川さんのこと」
「もちろん思ったよ。自分と同じくらい幼い癖に何でも知ってたから、ある時聞いてみたの、貴方は何者なのか、って。そしたらあの子『自分は本だ』なんて言ったの。よくよく考えてみると突飛なことなんだけど、それまでのことがあったし何より、ひい爺ちゃんの書斎に入るなんて普通の人間には不可能だったし、私はすんなりと信じたわ」
「ひい爺ちゃん、何か書斎に仕掛けでもしてたんですか?」
「うん。なんか東洋の魔女とか名乗る人から泥棒除けのまじないを教えてもらってたみたい。高価そうな本もあったんだけど、それをやった甲斐もあってか、一切本が盗まれるようなことはなかった」
「へえ、凄い」
「私にとっては彼女が"人ではないモノ"だったことなんて些細なことで、話相手になってくれたことが何より嬉しかった。でも、私は次第に彼処には行かなくなった。何故だと思う?」
「ううむ、やっぱりあれかな。友達が出来たから、とか」
「ああ、簡単過ぎたかな。その通り。私は外で友達が出来るようになって、楽しいことや素晴らしいことも一杯知って、段々と彼処に行くことが窮屈に感じるようになっていった。薄情者よね私、今まで相手してくれてたあの子のことなんか忘れて自分の都合を優先するようになったの。だから、愛想尽かして彼処から出てってしまったのよ」
「でも、今こうやって一生懸命に本を探してる。只の薄情者ならそんなことわざわざしないと思います。日夏さんは律儀です」
「只のって……でも、ありがとう」
 日夏は突き当りの角を曲がった所で立ち止まる。
「と、色々駄弁ってた矢先で申し訳ないのだけど、本格的に不味そうな予感がしてきた」
「はい。これ、さっき居た所に戻ってきてますね」
 そこは、最初にこの図書館に立っていた所と同じ場所であった。