鬼姫奇譚 終章:舌禍

「ねえねえ聞いてる?」
「へ?」
 いつもの昼休み。弓納はいつものように弁当を頬ばりながら友人の言葉にキョトンとする。
「いくら待望の昼休みだからといってぼーっとしない。青春が逃げちゃうぞ」
 寺山は弓納の鼻頭を押さえながら悪戯な笑みを浮かべる。
「ええそんな」
「そんなもごぼうもありません。ってそんなことはいい。あれよあれ、今はなき文芸部の部内誌が見つかったの」
「部内誌って?」
「部のみで流通させる目的で制作されたもの。文化祭とかで頒布する部誌とは違うわよ」
「へえ。でもそれって、ニュースになるほど珍しいものかな?」
「それはもう。文芸部には昔有名な作家がいたんだけど、その人が在籍していた当時の部内誌の一部が無くなっていたのよ。何でも、思春期の悶々とした心情が赤裸々に綴られていたのを恥じたその作家が、何処かに隠してしまったとか言われてたのだけど、それが見つかったってわけ」
「それは結局何処にあったの?」
「なんと元部室にあったらしい。部室には外部へと公開する部誌もあったから、カモフラージュさせてその中にちゃっかり紛れ込ませていたんだって。部誌ならいくつか重複しててもおかしくはないからね。全く物書きともあろう者が、エロ本隠す中学生かよ」
「灯台下暗し、だね」
 弓納が笑っていると、横から芥川がやってきた。先日乱れていた髪は嘘のようにいつもの艶々した状態に戻っており、あの惨状の跡は何処にも見当たらなかった。
「弓納さん」
「はい? 何でしょうか」
 これから何かを買いにいくつもりらしい、芥川は財布を持っている。
「男の子の目線に鈍感な貴方に一つ伝えとこうかなと思って。こないだのことで随分と人気を深めてしまったみたいよ」
「へ? それは一体」
「じゃあね、また午後」
 伝えるだけ伝えて芥川は颯爽と教室を出ていってしまった。
「最近芥川さん、妙に活き活きしてない」
 寺山が訝しげに尋ねる。
「う、うん確かに」
「さては弓納君、何か知ってるな」
「いやあ、そんな」
 弓納は笑って誤魔化す。彼女は芥川が"はつらつとしている理由に心当たりがあったが"、それを伝えるのも無粋なことではないかと感じつつ、何より言っても信じてもらえないだろうと自らの心の内に秘めておくことにしたのだ。
 あれから日夏と芥川が一緒に居るのをしばしば見かけるようになった。お互い他の人間関係もあるので適度な距離を保っているようであったが、それでも、屈託なく笑う二人の表情を見て、弓納はほっと安心した。
「それより、さっき芥川さんが言ったことが気になるのだけど、どういうこと? 人気? 私、何かしたっけ」
 話を逸らそうと、弓納は芥川が言っていたことを話題に持ち出す。寺山は真顔で尋ねてきた弓納を見て、耐え切れなくなったかのようにぷっと吹き出した。
「あれ、何か可笑しかった?」
「ああ、それでこそ小梅ちゃんだね。小梅ちゃんが小梅ちゃんたる所以だ。うんうん、やっぱり理解していない」
「もったいぶらずに教えてよ」
「仕方がないねえ。ほら、魔法陣騒ぎ。あったでしょ」
「魔法陣騒ぎ?」
「そう、ちょっと前にあった例のあれ」
「ああ。あれかー」
「あの魔法陣が実はどこかの魔法使いの仕業で、その野望を挫くために弓納さんが魔法使いを倒した」
「何言ってるの?」
「っていう噂が立ったわけよ」
「意味が分からない」
「意味が分からなくても噂が立ってしまった。結果、小梅ちゃんのミステリアス度が向上してしまった。そしてそして、それに比例して小梅ちゃんの株がうなぎ登り、一層男の子の人気が深まったというわけだ」
「……その噂、発信源は誰かな」
「ああ、確か菊池君が冗談交じりで部内で言いふらしてたらしい」
「それが噂になったと」
「まあそうなるわな」
 弓納は俯いたまま静かに立ち上がる。
「こ、小梅ちゃん? ま、まあ、所詮坊主達の悪ふざけだから、大目に見てやりなさいな」
「ええ、もちろんです。後で菊池君にはきっちりとお礼参りをしておきます」
 顔を上げた弓納は微笑んでいた。寺山はその無垢な笑顔を見て、「私は何も知らない」と今日中にでも起こるであろう惨状の一部始終を傍観することに決め込んだ。

―― 奇書と少女 終わり