太一の異界手帖

「グオオオオオォォォォ」
　薄暗い月夜の下、咆哮が木霊する。
　近くで聞けば明らかに人のものでないそれはしかし、少し離れて聞けばバイクのエンジン音程度にしか聞こえないのであろう。
　だが、目の前の現実が全てを物語っている。
　それは人ではない。まして、獣ですらなかった。

　異形。

　目の前のそれは、まさにその言葉にふさわしい貌であった。

「グルルルルルル」

　笑っているのか、威嚇しているのか、分からない。
　一つ分かっているのは、自分はこのまま無事に帰り着くことが出来ない、ということだった。
「……ついてない。ここで終わり、か」
　好奇心というのは厄介だ。知りたいという欲求は時に生存欲求すら凌駕してしまう。ブレーキの外れたそれにいくら危険信号をかけても無意味である。
　だが、生存本能は極めて正しかった。
「クモさんクモさん。どうかこの通り、助けてくれんかね」
　絞りだすように言った。が、それが無駄な足掻きであることはとうに分かっていた。
　青年は覚悟を決めた。
（終わる時は呆気ないもんだ。はあ、まったくもう）
　途端、ここに至るまでの過程が鮮明に流れ始める。
（走馬灯？　結構、最近のことばかりなんだな）
　しかし彼は考えるのをやめた。そして、ただ流されるままにその記憶を辿り始めた。