鬼姫奇譚 終章:後日にて

 菅原市の旧市街にある喫茶店「あんくる」。ブラウンを基調とした静かな店内は、雑踏から逃れて束の間の安息を求める勤め人や文人が本を読んだり、シックなテーブルを挟んで雑談を交わしていた。
「で、結局あの件はどうなったのだ。事の顛末を話して聞かせ給え」
 店内の奥まった席に腰かけていた新宮が向かいの天野に話しかけると、天野は飲みかけのレモンティーを静かに置いた。
「結果オーライだ。色々と回りくどいことになったが、まあ無事に解決した。そして残念なことに溜め込んでた愚痴も忘れてしまったよ」
 あれから鬼の徘徊騒ぎはすっかり収まった。
 その手の雑誌などには「まだ安心出来ない」、「実は予兆に過ぎない」などと取り上げられることもあったが、それもやがては収まり、誰もこの話題を口にすることはなくなった。
 結局のところ、鬼惑いの正体は二つだった。
 一つは八重千代の友人である羽白である。彼は最初に八重千代を探しに来た時に色々と街を歩き回っていたらしい。長らく人でないものの社会にいたから、正体を隠す感覚が鈍っていたらしく、夕方と深夜二時頃、つまり逢魔が時と丑三つ時と呼ばれる時間帯にうっかり鬼の姿が現れ出でてしまったようだ。
 もう一つは聡文の部下にあたる鬼であった。彼は羽白と共に市中に出てきていたが、そもそも姿を隠すという自覚が乏しく、頻繁に目撃されてしまっていた。そして、千方院家に出入りがありかつ異様な雰囲気のあった天野を捕らえようと北宮神社に忍び込み、望月に返り討ちに遭う羽目になった。(そして望月は仙崖郷のことを聞き出し、丁度連絡の取れなくなった天野を追う形で単身乗り込んだ)
 そして、この話にはほんの少しだけ続きがあった。
 羽白が街に住み着いたのだ。
 彼は先日菅原市を訪れた際に海や繁華街の様子を気に入り、しばらく滞在すると言い出したのだ。元々社交性が高いようで、その学習能力の高さと相まって彼は瞬く間に現世に溶け込み、既に人としておよそ不自由のない生活を送っているらしい。
 もう鬼の姿が出て来ることはないようだが、つまるところ鬼の徘徊自体は続いているのであった。
 全く、あの図太さはどこからでてくるのでしょうねえ、と八重千代は呆れたように言っていたのを天野は思い出す。
「そうか、それはよかった。やはり私の采配に間違いはなかっただろう」
「はいはい。全部貴方様のお陰でございますよ。いちっ」
 天野に新宮は遠慮なくデコピンをお見舞いする。
「その皮肉屋な口はどうしたら直るかね。一つ画期的な案でも出してくれないか」
「耳を引っ張るな。子供か君は」
「ああ子供だとも。いつまでも純粋無垢な子供の心を持ちあわせているのさ。君みたいにしおれてないんだ、少しは見習い給え」
「ああもう悪かったよ」
「分かればよろしい」
 一体どうして俺の周りは高飛車で勝ち気な女が多いんだ。天野は心の中で嘆く。
「あ」
「どうした?」
 ふと思い出しような天野の表情に新宮は問いかける。
「ふと気になったんだが」
「何だね?」
「君は何がキッカケで彼女と知り合ったんだ?」
「ふん、なんだそんなことか。それは秘密だ」
「おい、いいだろうそれくらい。様子見してきてやったんだ。報酬だ報酬」
「そもそも困ってる君に情報提供したのは私だぞ。様子見はそのついでだから報酬などとてんで可笑しな話だ。それにな」
「な、何だ」
「君は女の子の秘密を暴こうと言うのか」
「女の子?」
 君がか、と天野は思わず言いそうになったがこらえた。言ったらどうせまた面倒なことになるのだろう。
「ん、何だ?」
「いや、何でもない」
「しかしそうだな。私も鬼ではない。多少君にも感謝の気持ちは持ちあわせてはいるさ。だから気が向いたら話してやろう」
 新宮は不敵な笑みを浮かべた。

―― 鬼姫奇譚 終わり