ロストミソロジー 十章:ムーンチャイルド

「次の祭宮を決めねばなりますまい」
 桂京の宮殿に設けられた会議のための長方形の部屋。中心に配置された長テーブルの周りに座っていた男達の一人、面の長い男がそう言った。
「何を仰っておられる。まだその時期には早すぎるでしょう」
 口元に髭を蓄えた肩幅の広い男の一人がそれに反論する。しかし、その反論に、対して、面の長い男は首を振った。
「いいえ、ツツノオ殿。素より正式な時期など決まっていますまい。慣習的に決まっていることをただ踏襲しているだけのこと。それより、大事なことが起きてしまいました」
「ふむ、それとは一体如何なる者でしょうか?」
 また別の若い面持ちをした男が返事をする。面の長い男は返事をした男に向き直って言った。
「現祭宮が失踪してしまわれた。少し前より、報告がありました」
「な、何ですと!?」
 会議室がざわめいた。各々隣の者と話し合ったりする様子を横目に綿津見は言った。
「なるほど。失踪の原因はいささか気になる所ですが、それを探るより先ずは祭宮を決めねばならないでしょうな。しかし一体、代わりを誰がやるというのです」
「ええ、それをこれから決めねばなりますまい」
 面の長い男は難儀そうな顔をする。
 祭宮というのは地上に遣わす神官である。アマツカミガミと月人に仕え、祝詞を上げ、神事を執り行う。しかしそれは表立っての役目。実際のところは、アマツカミガミの人質である。
 人質である以上、それなりの貴人が選ばれねばならない。桂京というのは真実平等であり、貴賤の類というものはないに等しいものであったが、建前上、身分にあたるものは存在した。その中から、当たり障りのないようになるべく高い位にある姫、おおよそは王の系譜に連なる姫が選ばれるのが慣習であった。
「事態が事態な故、あまり手をこまねいてしまってはいけない。何であれ、もたもたして私達に下心ありと取られてしまうのはいただけない」
「確かにその通りですね。私はヨミテルヒメなど、その任に適当かと考えます。如何かな」
「いいえ、確かにあの方は大変教養もおありです。がしかし少々癇癪を起こすきらいがあります。私としてはアメツヒメがよろしいかと」
 口々に候補が上がっていく。「いっそ男にしてしまうのはどうか、性別に確たる決まりはないのだから」との話が持ち上がることもあった。そうしてひとしきりの意見が出た後、ある者が言った。
「陛下。貴方の意見をお聞かせ願いたい」
 すると、それまで黙りこくって意見を聞いていた桂京の王は静かに口を開いた。
「白夜見姫に任せる」
「な、何故!?」
 綿津見が突如席を立ち上がって狼狽する。それを両隣にいた男達が宥めて座らせた。
「すまない。今まで意見を出してもらって悪いが、ここで出た意見を深める必要も再議の必要もない」
「へ、陛下」
「綿津見よ。よい、聞こう。例え呪詛の言葉でも」
「いいえ。滅相もございません。ただ、考え直してほしいのです。何故白夜見姫なのでしょうか? 彼女は幼い。実に、あまりにもいと幼き子だ。それを一体何故そのような重い任に遣わされるのか」
 場は静まり返っていた。それは王の突飛とも言える意見、そして、それに対する綿津見の球団めいた問いかけのためだった。
「ああ、重い任か。確かにその通りだな。だが、この任だからこそ彼女に担ってもらいたいのだ」
「だからこそ、とは一体」
「彼女は、"ここで永い時を生きてはいない"。だからこそだ」
 その意味を理解した。確かにその意味で言えば間違いなく彼女は適任であろう。他の姫達は確かに永い時をここで過ごしている。そんな彼女達に、唐突に地上に行けといえば、一体どれほどの悲嘆にくれるのであろうか。その点、白夜見姫は生まれて幼い。それどころか、地上への憧憬を持っている。下手をすればその任を彼女は喜ぶかもしれないだろう。
 綿津見はそのことに納得しつつも、どうしてもそのことを容認出来ないでいた。
「ええ、よく分かりました。ですが、しかし」
 テーブルについた拳を強く握りしめる。久方ぶりに感じた憤怒。よもや、またこんな感情が湧き出てこようとは。
「貴方は、それでいいのですか?」
 苦し紛れにそう問われると、王は目を伏せる。
「そうだな。ただ単純にいいかと言われれば、良くはない。如何に平等あればとて、家族は特別だ。だが特別だからといって特別扱いするわけにはいかない。どうか、耐えてくれ」
「はい。最早私に異論はありませぬ」
 場は依然として静まり返ったまま。綿津見は目を閉じ、彼女に告げる言葉を考えていた。