異界手帖 六章:思い出

 菅原駅は菅原市の中心地の一つである。隣駅にはより繁華街や市役所に近い一宮駅があり、活気という点でいえば菅原駅は一つ劣ってしまうのだが、特急などの止まる菅原駅はやはり市の玄関口でもあり、ビジネス街がこの駅を中心に形成されていることはその証左であった。
「いやーほんと面目ない」
 外国人の観光客、高校生や大学生と思しき若者達、親子連れ、様々な雑踏の行き交う中、改札近くの扇情的な広告が躍る柱の脇にいた太は、待ち人からの謝罪の電話を受けていた。
「一体、どうしたんですか? 急に行けなくなったって」
「実はな、高校の後輩が緊急で困ってる事件があるとかで、俺に助力を頼みたいんだと。すまん、他らなぬ後輩のためなんだ」
「ふーん、じゃあ僕のことはどうでもいいってことですか?」
「う、いやそういうわけじゃ」
「ぷっ」
 太は耐え切れずくすくすと笑い出した。電話越しの宗像は何が何やら困惑している。
「はは、冗談ですよ。僕のことは気にしなくていいです」
「すまん。この埋め合わせはまたどこかで必ず」
「いえ、そんな逆に悪いです」
「いやしかし」
「あのですね宗像さん、僕は貴方の彼女じゃないんです。これでも男なんで、そんなみみっちいことは気にしてませんよ」
「ふむ、そうか。それもそうだな」
 途端に朗らかな声になる。おのれ、余計なことを言うんじゃなかった。太は少し自分の言動を後悔した。
「まあ冗談はともかく、どこかで必ず借りは返すさ」
「……了解です。とりあえず今日は適当に羽休めをしてきます」
「ああ、ありがとう。じゃあまた今度」
「はい」
 電話が切れると、太は徐に歩き出した。
 生野の潜伏先は一先ず望月と日井が調査することになった。太も調査の協力を申し出たが、「最近、ずっとこっちの活動させてて申し訳ないから、たまには羽を休めてきなさい」と望月に断られてしまった。しかし太は休日の使い方というものがあまり分からないので、宗像を誘うことにした。宗像は「お前もガールフレンドを持った方がいいぞ」などとからかいながらも快諾してくれたが、しかし、今日になって後輩から緊急の用事で呼び出されてしまったため、宗像は行けなくなってしまい、今に至る。
 休日の使い方が分からないのは確かだが、太は元々一人で行動することにも慣れていたので、いつものように書き物のためのネタ集めをすることにした。ただ、唐突に出来てしまった時間である。何処に行くかと考えあぐねてしまった。
「ま、いいや」
 たまには何も考えずにぶらぶらしてみよう、太はあてどもなく北口に向かって歩き始めた。しかし、無意識に人の少ない北口へ向かってしまうのは何とも自分らしい、と太は思った。元々人ごみがあまり好きな方ではないのだ。賑やかなのはいいことなのだが、それがいいと思うのは祭りの時くらいだ。普段の賑やかな街並みは何だか自分という存在の小ささを思い知らされて、少し心が窮屈になってしまう。
「と、いけないいけない」
 あまり後ろ向きなことを考えるのはやめよう。太は匂いに釣られるように目の前のクロワッサン専門店に並ぶ。巷で人気のその店は相変わらず行列が出来ていたが、特に時間に追われているわけではないので、太は気長に待つことにした。