異界手帖 九章:たまき

 生野邸の件から数日。望月、天野、弓納の三人は社務所の一室に集まっていた。
「あの爺さん、大丈夫かね?」
 天野は望月に向かって言ったが、望月は手を組んだまま、沈黙している。
「おい、聞いてるのか」
「あの、望月さん?」
「ごめんなさい。私の判断ミスだわ。あの子も連れていくべきだった」
 望月はぼそりと言った。それを聞いて天野はやれやれと肩をすくめる。
 生野邸から北宮神社に戻ってみると、太は神社にはいなかった。何処かに出掛けたか、あるいは帰ったのかもしれないと思い方々に連絡を取ってみたが、彼と連絡が付くことはなかった。
 途方に暮れていたところ、神社の境内で彼のものと思しき携帯が見つかった。これによって、客士達は生野邸にいたあの少女が太を連れ去ってしまったのだと確信するよりほかなかった。
「お前は正しかったよ。大体な、仮にあの場所に連れて行ったとしても同じ結果になった可能性は高かったぜ」
「そうですね。それに過ぎたことを言うのは、貴方らしくないです」
「でも……いえ、そうね。これからの事を考えましょう。ありがとう、二人とも」
「とは言っても、あの嬢ちゃんが何処に潜んでいるのか皆目見当がつかねえな。容姿の割に色々と思う所はあるが、そもそも一体何者なんだ?」
「さて、ね。日井さんだったら何か心当たりはあるのかしら」
「どうだかな」
 日井は生野の元に潜ませていた部下を一足先に帰した後、生野邸の一件を片付けるために望月達と別れた。諸々面倒な事を引き受けてくれた彼は、少女の事について「そうですね……」と曖昧な返事をしたきり、うやむやのまま弓司庁に帰ってしまった。
「でも第三者の介入が入ったのですから、調査はすると思います」
「それでは遅いかも。解明に時間がかかっている間に、『真統記』が悪用されかねないわ。太君があの子の元にいるのならあまり時間はない」
「ん、そういえば聞きそびれてしまってたが、望月、何であの嬢ちゃんが太君を狙ったと思ったんだ」
「それはおそらく、太君が鍵だからよ」
「鍵、そういえばそんな事言ってたな」
 天野が言うと、望月は静かに頷く。
「ええ。『真統記』は知っているわよね。あれは本来、一部を除いて封をされていて、鍵がないと開かないようになっている。何故封をされているかは分かるかしら?」
「ふむ。大方、失われてしまった秘術なりがその中に詰まっているからだろう」
「その通りよ。あれには神代の秘術が沢山残ってる。勿論、どれも一級品の秘術よ。うっかり使ってしまうと大災害につながるようなものだってある。だから、迂闊に開けられることのないように鍵をかけてあるの」
「その鍵が太さん、ですか」
「ええ。正確には鍵である人物は何人かいるようで、太君はその一人。『真統記』の存在自体、知っている者はごくわずかで、鍵が存在していること、更にそれがどういう形態をしているのかを把握している者は猶更いない。だからそんなに心配する必要はないかと思ったのだけど、鍵に目を光らせておくにこしたことはない」
「ああ、なるほどな」
「天野さん、何がなるほどなのですか?」
「太君をここに誘った理由だよ。何はともあれ、太君がここに来るようになれば彼の周りに何か変な事が起きてないかも掴みやすいし、第一彼を守りやすくなる。わざわざこんな酔狂な事にいたいけな大学生を巻き込むなんて何の気まぐれかと思ったが、ようやく腑に落ちた」
「あら、最初にここに連れてきたのは天野君じゃない。私は彼が自分の意思でここまで来たから、それならと思って誘ってみただけよ」
「ほお。ま、いいや。それこそ過ぎたことを言っても仕方がない。それより、嬢ちゃんが何処にいるか探すか」
「取り込み中すまないが、お邪魔するぜ」
 その場にある筈のない声がした。男の声がした方向である入口を全員が一斉に見やると、そこには坂上は呑気そうな顔をして三人を見下ろしていた。
「坂上さん?」
「やあ姉ちゃん、ご機嫌よう」
「ええ、ごきげんよう。じゃなくって何でここにいるの!?」
 望月は思わず狼狽えるが、坂上はさも当たり前のように部屋に入ってきて席に着いた。そして何食わぬ顔で弓納にお茶を要求する。
「あの、えっと~」
「まあ細かい事は気にするなよ、嬢ちゃん」
「望月、知り合いか」
 困惑した顔で天野が望月に尋ねると、ああ、と思い出したように坂上が顔を上げた。
「そういや自己紹介がまだだったな。俺は坂上だ。刑事をやってる。よろしくな、天野さん」
「ああ、これはどうも丁寧に」
「じゃないわよ」
 望月は天野の頭をはたく。
「坂上さん。何の御用かしら。私達、特に法に触れるようなことはしていない筈ですが」
 つい先日住居侵入したところじゃねえか、と天野は思ったが、まるでその考えを見透かされていたかのように肘で小突かれてしまった。
「別にあんた達が犯罪を犯したから捕まえにきたわけじゃないさ。面白い話があるから土産に持ってきただけだ」
「面白い話?」
 望月は眉をひそめる。
「ああ、黒髪の美少女と菅原市の外れにある竹林であったって話だ」
「はあ。そりゃあ黒髪の美少女が竹林にいても別に――」
「結ちゃんと会ったって言いたいの?」
 望月が坂上に言った。
「おっ察しがいいねえ」
「貴方、まだそんな事を言ってるの。いい加減そんな妄想をやめないと日常生活に支障を」
「妄想じゃねえよ。いたってマジだ」
「いいじゃないか望月。俺もこのおっさんの話に興味がある」
「いいね。話が分かるおっさんは好きだぜ。まあ、とりあえず聞いてくれ。何、ほんの十数分くらいで終わる話だ」