異界手帖 十一章:反魂の願い

 望月と天野は階段を最上階と思しき所まで駆け上がった後、いくつかの廊下と部屋を横断していった。朱色の柱に板張りの廊下は相変わらず薄い灯りのみで薄暗かったが、対照的に畳の敷かれた部屋の内部は昼間であるかと錯覚するほどの明るさだった。
 頂上へと続いている階段を駆け上がると、そこは簡素な部屋だった。そこは特にこれといった装飾はなく、ただ屋外へと出るらしい引き戸があるくらいである。
「天野君。心の準備はいいかしら」
「もちろんだ。いつでも心の準備は出来ている」
「そう、よかった」
 そう言うや否や望月はその引き戸を思い切り蹴破った。
 その場所は五十メートル四方の大きな広場になっており、奥まった所に高舞台があった。高舞台には神具と思しき鏡や榊、白木の台などが設えられており、広場の周りには朱の灯篭がうっすらと辺りを照らしながら空中に浮かんでいた。そして空には満月が上り、高舞台の存在を一層くっきりと浮かび上がらせている。
「ようこそ。お待ちしておりましたわ」
 広場の中心、そこでたまきは二人を待ち構えていた。少女はブラウスの裾を持ち上げてゆっくりとお辞儀をした。望月は銃口をたまきに向ける。
「太君はどこ?」
「望月、嬢ちゃんの後ろに」
 天野に言われて、望月は奥の方を見やった。高舞台の前、見慣れぬ字で描かれた陣の中心には太が仰向けに倒れていた。陣は蒼い光を放っており、周りを薄く照らしている。
「太君!」
「大丈夫よ、祭宮さん。貴方も知ってるでしょう? 儀式は生贄を捧げるものじゃなくて、あくまで『真統記』の中身を開き、その力を引き出すもの。はじめには何も害はない。門を開け終わったら大人しく返してあげるから、そこでお行儀よくしていて頂戴」
「門って、一体、何をするつもり」
「決まってるじゃない。異界に行ってしまった私の同胞をこの地に呼び戻すの」
「異界ですって!? 貴方、何をするつもりか分かってるの?」
「勿論よ。人ならざる者の住む世界、打ち捨てられた神の住む世界。そこに、私のいなくなった同胞がいるの。だから呼び戻すのよ、これを使って」
 たまきは首から下げていたペンダントの、雫のような玉を手に取って見せた。
「……それが、『真統記』というわけね?」
「そうよ。名前だけ聞くと本か、巻物の形を想像するでしょうけど、それは大きな間違い。『真統記』は言わば巨大な図書館。そして、これはそれにアクセスするための端末。でも端末は時代によって変わるから、この玉の姿だって一時的なものにすぎない。全部、『真統記』を不正に利用されないための対策ね。それはそれは探したわよ。でも、それもやっと報われるの」
「巫山戯ないで。異界とこちらを繋ぐ門。それを開けば何が起こるか分からないのよ。災害に繋がるかもしれない。貴方の身勝手な目的に他人を巻き込まないで」
「そうね。貴方はそのために動いてきた。はじめが鍵であることに気付き、客士の一員として迎え入れ、自分の保護化に置くことて"悪い虫がつかないようにした"。そうでしょう?」
「俺は反対したけどな」
 天野はぼそっと呟く。
「お疲れ様、でも貴方の努力も徒労に終わったわね」
「世の中そんなもんでしょう。十撒いた種の内の一つ、二つ芽が出れば御の字。少しくらい上手くいかないからって挫けない。ねえ、何か間違ってるかしら、"結ちゃん"?」
 たまきの顔から笑顔が消えた。立っていた高舞台を降りて望月達に向かってゆっくりと歩き始めた。
「何を言っているのか分からないけれど、貴方達がどうしても邪魔をするというのなら遊んであげましょう」
「来るわよ」
「分かってる」
 天野は"フミツカミ"で瞬時に斧を取り出す。
「うらっ!」
 天野は一瞬で距離を詰めてきたたまきに斧を振るった。たまきは足で斧を蹴り上げて怯んだ天野の腹に短刀を突き立てようとする。しかし、脇目に銃口に気が付き、咄嗟に手を引っ込めて後退した。望月は後退した場所目掛けて躊躇うことなく引き金を引くが、たまきはその銃弾を指で受け止めた。薄く光を放っている銃弾はぼろぼろと崩れ落ちて消えてしまった。
「それでは当たらないわ」
「そう、じゃあこれならどう」
 望月は二つ目の拳銃を左手に構えて、ほぼ同時に銃弾を放つ。たまきは受け止めるのを諦めたのか、それを体を逸しつつ避ける。
 避けた視線の先には天野がいた。しかし、天野はいつの間にか斧ではなく弓を手にしており、弓矢は一直線にたまきの方を向いていた。
「プレゼントだ、受け取れ」
 矢が放たれたが、たまきはその矢を掴み砕いてしまう。
「ありがとう。お気持ちだけいただくわ」
「ああ、そうかい。でもな、親切は素直に受け取った方がいいぜ」
 たまきの手から短刀が滑り落ちた。たまきハッとして矢を払った腕を見ると、腕には文字のような文様がうようよと蠢めいていた。
「右手、動かないだろう?」
「とんだ小細工ね。でもこんなのすぐに――」
「よそ見しないの」
「っ!?」
 銃声が響いた。たまきは静かにその場に蹲る。
「外傷はないわ。でも効くでしょう? 精神的に」
 望月がたまきに近づきながら、側にあった短刀を斜め後方に蹴とばす。
「……何の真似? こんな軟弱なことして」
「別に? 今までこうやって退治してきたってだけよ。妖怪なんてものはこういうのの方が効くやつが多いから」
「ああ、そう」
「人であって人ならざる者。神と何ら遜色のない人間。あるいは魔人。でも、それはこっちにとっても好都合。力が強ければ強いほど、当たればこの銃弾の虜になるの。例えそれが神霊であっても例外ではない。そして、貴方はそれをまともに喰らった」
「動けないのも道理ということね」
「そういうことよ。さあ、もう気が済んだ? 貴方も一緒に帰りましょう。あの人が待ってるわ」
 望月が少女に手を差し伸べるが、少女は蹲ったまま動かない。
「結ちゃん?」
「望月! そいつから離れろっ!」 
「え?」
「よそ見をしてはいけませんわ? さっき貴方がおっしゃったじゃない」
「……言ってくれるじゃない」
 望月の腹にたまきの拳がめり込み、望月は数メートル後方へ飛ばされる。
「望月!」
「次は貴方ね」
「くっ」
 たまきは短刀の所まで弾丸の如き速さで駆け寄る。足元まで来るやいなや即座に右手で短刀を掴み、そのまま天野に襲いかかる。天野は咄嗟に片手に握っていた弓の柄でその凶刃を受け止める。
「くそ、ハッタリかよ。性悪め」
「ごめんなさい。ちょっと魔が差してしまったの。でも、貴方の攻撃はちゃんと届いてたわよ。さっきまで右手が動かなかった」
「ああ、そうかい。そりゃどうも」
 天野は咆哮をあげて、その短刀をたまきの体ごと後ろに吹き飛ばす。たまきは地面に着地すると、すかさず体勢を整え、天野に刺突を試みる。天野は弓を斧へと変形させ、それに応戦しようとする。
「お手並み拝見ね――」
「はあああ!」
 たまきは上を見上げる。
 槍が闇夜を突き抜け、たまきと天野の間に割って入った。たまきは反射的に後退する。
「槍?」
 たまきが怪訝な顔をしていると、得物の持ち主が上空より舞い降りて槍を拾う。
「弓納」
「すみません、お待たせしました」
「いや、助かった」
「状況は?」
 弓納が周りを見回しながら天野に言った。
「見ての通りだ」
「なるほど、ですね」
「く、うふふふふ」
 たまきが可笑しそうに笑い出す。
「どうしました。私に何か付いてますか?」
「いいえ、何も、何も付いてないわ。ただ可笑しかっただけ。だって、まだ諦めてないんだもの。貴方達」
「それはそうです。諦めてたら、ここには来ません」
「そうだな。後、望月の仇も取ってやらないと」
「い、ったた。ねえ天野君。聞こえてるわよ」
 望月がゆっくりと起き上がり、そこで膝をついた姿勢を取る。
「おお、地獄耳」
「それも聞こえてる。後で覚えておきなさい」
「ふふ、仲がいいのね。貴方達。羨ましいわ」
「私達の仲がいいかはともかく、お友達が欲しいのならこんな事をしてる暇はないと思うのだけど、如何かしら?」
「甘言ね。残念だけど、そんな甘い言葉を聞く耳は持っていないの。それに、もう貴方達との遊びももうおしまい」
 たまきは踵を返して高舞台へと上がっていく。背を向けた少女の背中へ向けて、望月は銃弾を放ったが、銃弾は高舞台へ登っていくたまきの背中手前で弾かれてしまった。
 望月は眉を顰める。
「結界というわけね」
「ええ。こちらからも手は出せないけど、そもそも貴方達をどうこうしようだなんてつもりはこちらには毛頭ないもの。そこで大人しく待っていなさい」
 高舞台へとたまきはたどり着いた。そこで、設えられていた銅鏡に手をかざすと、高舞台の後ろにある空間に小さな青白い紋様のようなものが生じ始めた。
「ああ、やっとよ。皆」
 たまきは感慨にふけるような声を出す。その間にも空間は少しずつ広がっていき、やがて人一人分が通れる大きさになった。
 光があふれていて、開いた空間の先は窺い知れない。
「天野君。聞いてみるけど、貴方のフミツカミでどうにかならないの?」
「ああ、今準備が出来た。結界を食ってしまえばいいんだろう?」
 天野は徐に右手を前に突き出す。
 天野から黒い文様が飛び出し、地を這って結界に喰らいついた。しかし、喰らいつきはするものの、一向に結界が解かれる気配はない。
「どう? 天野君」
「参ったね。ちょっと時間がかかりそうだ」
「なるほどね。願わくは、"彼ら"が結ちゃんを説得してくれると助かるのだけど」
 望月は前方の光景を見ながら呟いた。
 その視線の先ででは、ゆっくりと立ち上がった太がたまきを見つめていた。
「たまき」
 太がたまきの名を呼んだ。
「はじめ?」
 たまきのその問いに、太は首を振る。
「はじめ、ああ、この子のことか」
 たまきは太の様子に怪訝な顔をしたが、何が起きたのかを理解すると、少しずつ表情が明るくなっていった。
「そうなのね。ああ、よかった、よかった。やっと会えた!」
「ああ、私達もお前と会えて嬉しい」
「さあ、行きましょう! また現世で一緒に暮らすの。場所もすぐに用意出来るから。だから――」
「それは出来ない」
「え」
 たまきは我が耳を疑った。嘘だと言ってほしいとばかりに目で太に訴えるが、太は首を横に振る。
「私達は、経緯はどうあれ一度現世を離れ、異界に行ったもの。死者が幽世より舞い戻らぬように、もはや過去の遺物が現世に行くのは道理ではない」
「何を、言っているの? そんなのどうだっていいじゃない。ああ、そうね。体がないのね? 分かったわ、体なら用意してあげる」
「たまき。そうではない。私達が現世に戻れば、望む望まないにかかわらず必ずや災禍の引き金となるだろう。今を生きている者達に災いを振りまくのは私達の翻意ではない」
「そんな、私は皆に会うために、ここまでやってきたのに」
 たまきはその場に崩れ落ちる。太は目を伏せて少しの間、口をつぐんだ。
「色々と勝手なことを言ってすまない。勝手なことを押し付けてすまない。そしてこの上図々しいと思うかもしれないが、君には生きてほしい。生きて、私達がこの世界にいたのだという証を引き継いでいってほしい。私達が願うのは、それだけだ」
「私を、一人にしないで」
 その場で俯くたまき。太はふと外を見てから、言った。
「たまき、君は、一人ではないだろう。それは君が良く分かってる筈だ」
「え?」
 たまきは顔を上げた。しかし、そこにいたのは気の抜けた顔の太だった。
「たまき?」
 太が再びたまきの名を呼ぶ。
「……はじめ?」
「うん、そうだよ。ああ、そっか。さっきまで体を貸してたんだっけ」
 たまきは再び俯いたまま、押し黙ってしまう。
「たまき、さっきのあれは、彼らの本当の言葉だ。僕の作り話じゃない」
「ええ。分かってる。そんなこと、分かってるわ」
「たまき……」
「皆を巻き込んで、こんな三文芝居にもならない結末。馬鹿みたいね、私」
 結局は勝手な思い込みであった。自分に託された思いなど考えもせずに、ただ、自分の寂しさを埋め合わせるためだけに計画を企て、他人を巻き込み、そして頓挫した。そもそも、最初から成功する筈もない計画だった。計画の中心には自分がいたが、ふたを開けてみれば計画を立てた筈の自分が道化として踊り狂っていたにすぎないのだ。
「はじめ、笑ってもいい、嘲ってもいいのよ」
 結界を解き、力なく顔をあげたたまきに、太は首を横に振る。
「いいや、僕にはそんなことは出来ないよ」
「その通りだ。君が紡いだ物語を三文芝居には終わらせないさ」
 突如、その場の誰でもない声が辺りに響いた。
「こちらだよ」
 全員が一斉に入り口の方を振り向く。
 そこに立っていたのは、日井であった。