異界手帖 十三章:帰る場所

「うーん」
 文芸部の部室。早朝かつ休日のせいか、誰もいないこの部室で太は頭を抱えて唸っていた。
 理由は至極明快なものである。のっぴきならない事情とはいえ、度重なる欠席によってとある講義の出席日数が足りなくなってしまったのだ。幸い、担当教授の計らいによって追加レポートを提出することによってその埋め合わせとすることになったが、その見るからに幼そうな女教授は優しいのか厳しいのか、その分量が甚だしいものであった。『私が飴だけをあげるわけがないだろう。ほれ、不満を言う暇があるならさっさとやり給え』などと嗜虐心をたっぷりに堪えた顔で言った。
「そんなことを言われても、これはちょっと理不尽だよ。やっぱりあの人、当て付けのつもりなんじゃ」
「はじめ」
「え?」
 あり得ない声が響いた。ここにいる筈のない声。太はおそるおそる後ろを振り向く。
「どうしたの? 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして」
 たまきがきょとんとした顔をする。
「たまき。何でここに」
「あら、そんなに驚くことかしら? ここって不審者さんでも簡単に入れちゃうもの。なのに、私がここにいるのがそんなに可笑しくって?」
「いや、可笑しくはないけど……でもやっぱり可笑しいよ。そもそも大学(こんな所)に一体何の用があるのさ」
 そう聞かれてたまきは「そうねー」と人差し指を口に当てて素っ気もない天井を見上げる。
「あ、でもお父さんにはお仕事で用があったのよ。だから私も後学のために連れてきてもらったの。これは本当よ」
「ああ、なるほど。それなら信じるよ。じゃあお父さんもここにいるわけか」
「うん、そうよ」
 少女は屈託なく笑う。
「でもまだ駄目よ。あの人はまだお仕事中だから」
「はは、分かってるって。でも今はそれより、気になることがあるな」
 彼はたまきの奥でそわそわしつつも呑気に口笛を吹いている大男をねめつける。
「宗像さん。一体何をしているんですか」
「ん? 俺はそこの女の子に道を尋ねられたもんなんで、教えただけだ。まあ、それで行き先が丁度同じだったもんなんでこうやって一緒に来ることになったのだが」
「あのですね。事情はどうあれ、知らない女の子をこんな所に連れてくるなんて駄目じゃないですか」
「太、お前も固い男だな。大体、この子はお前の知り合いなんだろ?」
「う、まあそれはそうですが」
「はじめ、ムナカタは先輩なのでしょう? あまり悪く言っては駄目よ」
 たまきから諭され、太は言葉に詰まった。後ろで少女から名前を呼ばれたことへで宗像はとても得意気である。
「この、ロリコンめ」
 太は悔し紛れに悪態をついた。