鬼姫奇譚 一章:鬼惑い

「人の縄張りに無断で入ってくるとは、中々いい度胸をしているじゃない」
 夕暮れの北宮神社。望月の前で中年の男が倒れていた。夕日に照らされたその男は一見すると普通の人のようだが、決定的に人にない部分がある。
 男には雄牛のような角が生えていた。
「不覚である。よもや人の如きに遅れをとろうとは」
 男は呻くように言った。
「さて、どうしてくれようかしら。うーん、見世物にするには少々いかついわね」
「おのれ、悪鬼羅刹をも恐れぬその所業、貴様何者だ」
「何者も何も、私はこの神社の祭宮よ。他に答えようがないわ」
「くそ、よく分からんが、要するに巫か」
「正確には違うのだけど、まあいいわ、そういうことで。説明するのも疲れたし」
 半ば諦め気味に溜息をつきながら望月は言った。
「で、そういう貴方は鬼? それとも子鬼? それとももっと別の何か? まさかそんな雄々しい角生えてるのに人間って言うんじゃないんでしょうね?」
「はん、答える義理はないわ」
 男はそっぽを向く。
「ふうん、そう。じゃあ質問は取り下げるわ。貴方の正体は別に重要なことではないから。それより」
「なんだ?」
 男は不安そうに望月の方を見る。
「ここに入った理由を教えてほしいわ。何が目的?」
「さてな。何故答えなければならぬ」
「答えた方が身のためよ。さもないと貴方」
「ふん、どうなるというのだ?」
「これから毎晩ずっと枕に顔を埋めざる負えないような、みっともない目に遭うわよ」
 嗜虐性を伴った声音。望月はまるで新しい玩具を見つけた時の子供のように、満面の笑みをその顔に浮かべていた。
「わ、分かった。話そう」
「あら、意外と素直ね。ちょっと拍子抜けだわ」
「つ、つまらぬことで恥をかいても仕方ないからな」
 男はその尋常でない様子を感じ取ったのか、体を少し小刻みに震わせていた。