ロストミソロジー 一章:白い髪の少女

 菅原市は沿岸部に位置している街である。古くから交易によって栄えてきた地域だが、江戸期には海が綺麗なよくある城下町の一つであった。しかし明治に入ると、作家や画家などが菅原市を描いた作品を発表し、また大学が設立されるなど急速な発展を遂げるようになった。市内には、神社仏閣の他、旧家の屋敷や洋館、書店が立ち並ぶなど文化の香る街として知られているが、一方で、駅中心部や港湾地区であるベイシティと呼ばれる場所ではオフィスビルやホテル、各種商業施設が立ち並ぶなど、ビジネスや各種レジャーを提供する街としても発展していた。
 そうした街の一画の小高い丘の上に神社がある。北宮神社と呼ばれるその神社の急峻な階段を登った先の境内からは、港湾の景色を一望することが出来た。しかし、この神社自体はさほど著名なものではなく、地元の人間でもあまり知られていないような所であるので、結局のところ、その立地の良さに関わらず訪れる人は少なかった。
「はあ、どうしたもんかね」
 北宮神社の境内にある社務所、その広間で天野は力なく畳に腰を落とす。気だるげそうなその背にテキパキとした足取りで女が近寄ってきた。
「あら、天野君。また学校で面倒事?」
「まあそんなとこだ。しかし、今回のは"こっち側"が絡んでるぜ、望月」
 望月、と呼ばれた女はしかし、あまり関心を持たずに「ふうん」とだけ感想を漏らした。
「じゃあ異界騒ぎね」
「そういうことだ。全く、どっからでもこんな話ってのは出てくるもんだな」
 そう文句を垂れながら、天野は開け放たれた障子から見える外の庭を何の気無しに眺めた。その広間は数十人程度の宴会でも利用出来る程の広さを誇っているが、部屋の障子は普段は開け放たれて開放感のあるものとなっている。そして外には桜の木や紅葉樹が植えられており、春になれば桜、秋になれば紅葉と四季折々の風景を楽しむことが出来た。しかし、障子を開け放たっている以上、季節によっては虫は入ってくるものである。ただ、この神社はその対策も施しているようで、未だその室内に狼藉者が立ち入ったことはなかった。
「商売繁盛でいいことじゃない。それとも辞める? 客士」
「まさか、辞めるわけにはいかんよ。折角の仕事だ、有難く受けさせてもらう」
 天野はやはり気だるげに答える。
「そうだ望月」
「なに?」
「時に太君はいるか? 折角だから、彼に手伝ってもらいたい」
「残念だけど、彼はここにはいないわよ。それこそまだ大学なんじゃないかしら」
「ああ、それもそうだ。まいいや、急ぐわけでもないし、少しばかり待ちますかね」
 そう言って天野は徐ろに広間を出ていく。一人部屋に残された望月も広間に特段用があるというわけではないので、そこを後にしようとした。
 ガラガラガラ、と玄関の戸が開く音がする。社務所にはインターホンがあるが、そのインターホンもなしに入ってくる人間は限られている。
「あら、太君。お疲れ様」
「お疲れ様です。望月さん」
 社務所の玄関で靴を脱いで入って来たのは、小柄な少年だった。いや、少年というのは正しくない。彼、太一は市内に通う大学生であり、もう青年と読んでも差し支えない年齢であるからだ。
「丁度よかったわ、天野君が太君のこと探してたわよ」
「僕をですか?」
「ええ。異界騒ぎでに関して、手伝ってもらいたいみたいだけど、それは本人に聞いてみなさい」
「了解です。あ、望月さん」
「ん、何?」
 太が少し躊躇うように目を伏せるので、望月は首を傾げる。
「どうしたの太君? ちゃんと言ってもらわないと分からないわよ」
「ええと、望月さん。折り入って頼みがあるのですが」
「何かしら、改まっちゃって」
「えっとですね、実は、預かってほしい子がいるのですが」
「はい?」
 望月は再び首を傾げる。
「すみません、唐突すぎますよね。でも、言葉通りの意味です。預かってほしい女の子がいるんです」
「は、はあ」
 望月は戸惑いながら返事を返す。言っている意味は理解出来るが、唐突過ぎて理解が追いつかない。
「ちょっと待ってください。今外に待たせているので、連れてきます」
 そう言って、太は入り口の方に向かっていった。
「親戚の子、かしら?」
「どうした望月? そんな所に突っ立って」
 数分後、広間に戻ろうとした天野は廊下でぼーっと突っ立っている望月を見て怪訝そうに尋ねた。
「いえ、ね。さっき太君が来たのだけど」
「ほお、丁度いいタイミングだ。嬉しいねえ」
「預かってほしい女の子がいるって」
「は?」
 天野は首を傾げる。訳が分からない、というように口をあんぐりと開けている。
「どういうことだ」
「さあ、よくは分からないけれど」
 そこへ、今度は女の子を伴って太が社務所の中に入ってきた。
「お待たせしてすみません」
「ええと、太君」
「はい、何でしょう」
「預かってほしいってのは、その後ろの女の子のこと?」
「はい。さやって言います」
 太はそっと体を横にずらし、後ろに控えていた女の子を紹介する。少女は少し緊張した面持ちでゆっくりと前へ出る。
「あ、あの、さやと申します。どうかよろしくお願いします!」
 さやと呼ばれた少女は深々とお辞儀をする。少女は混じり気のない雪のような真っ白な髪をしており、透き通るような白い肌が印象的な女の子であった。
「これはまた、何処の子だ?」
 天野がさやをじろじろと見ながら訝しげに尋ねる。さやは天野の視線のためか、所在なさげに目を動かしている。
「それが、分からないんです」
「分からないというのは、どういうこと?」
 望月は太の方を見て尋ねる。
「実は、事情を話すと長いのですが」