ロストミソロジー 七章:襲撃

 ポートランドの中心地に建っているホテル、シティピアホテル。
 かつて博覧会が催された時に建設されたこのホテルは、今や市内有数のホテルの一つとなっている。
 そのホテルに滞在していた日向は日付も変わろうかという時間帯に呼び出された。日向という男は実直さがそのまま形になったかのような男である。この不躾な呼び出しに特に不満を漏らすわけでもなく、すぐにその場所へと向かった。
「ごめんなさいね、こんな時間に呼び出してしまって」
 ホテル南の広場の一角。全く人気のない広場の街灯に寄りかかって何をするでもなく満月を見上げていた望月は、待ち人が到着するや否やそう切り出した。
「いえ、問題ありません。そんなことより、用件は何でしょうか?」
「ええ、それは先程お伝えしました通り、決闘の申し込み、ですわ。日向さん」
「まさか、それは私を呼び出すためのご冗談ではないかと思っていたのですが」
「いいえ、それが至って真面目で、私もどうにも立ち行かなくなった時はたまには野蛮なことを考えるのです。それとも、女などと決闘するのはご不満でしょうか? そんなことをしてしまえば貴方の名誉に傷を付けてしまう、でしょうか」
「いいえ、そんなことはありません。ですが」
「私を倒したら、さやの居場所についてお教えしましょう」
 日向は目を見開いた。
 やはり当初の自分の見立て通り、望月はさやが何処にいるのかを知っていた。だが、
「何であの時、貴方達に彼女の居場所を教えなかったのか、ですね?」
「はい。隠した所で貴方達には何の得もない筈。一体何故今になって私達に話すのでしょうか」
「いいえ。それは私に勝てたらの話です。私が貴方に勝った場合、さやについて知っていることを全て話してもらいましょう」
「成程。元より彼女の居場所を話すつもりなどないということですね」
 これはそういうことだ。確かに決闘などというものに乗り気ではない。そもそも、自分はここには"調査と回収"に来たのだ。それなのに何故、本来協力すべき客士と争わねばならないのか。
「ですがお聞かせ願いたい。何故貴方はこうも頑なに彼女のことを隠すのです」
「それも貴方が勝ちましたらお教えいたします」
「そうですか。分かりました」
「始めましょう」
 望月は両手に愛用の二丁拳銃を構えた。
「はい。参ります」
 日向の手の辺りに微かな靄が立ち上ったかと思うと、その手には鞘に収まった刀が握られていた。
 彼は、その鞘を静かに抜いた。

 一体どれくらいの時間が経過したのであろうか。見る者のいない広場にて、一方は銃弾を放ち、もう一方は刀を振るい続けた。
 放たれた銃弾は魔力によって編まれた弾丸。動物を殺傷するものではなく、相手の魔力を損なわせるもの。それは、霊性を有した存在に強く作用し、まともに当たれば動くことすらままならなくなる。それは、言うなれば精神そのものを直接打ち砕く弾丸であった。
 しかし、その弾丸も日向に届かない。彼は、実弾と何ら変わらぬ速度で放たれるそれを、尽く刀で斬り伏せていた。そうして一瞬出来る隙をついて日向も相手を打ち伏せようとするが、振り下ろした斬撃はこれも銃弾によって弾き返されてしまう。
 成程。日向は納得した。実際の所、決闘といいつつ彼女を御することなど容易いであろうと心の中で高を括っていた。しかし、結果はこの膠着状態。決して調子が悪いわけではないし、準備が出来ていなかったからでもない。
「月の加護、ですか」
 数十メートルの間隔を空け、日向は望月に問いかけた。
「ええ、そうよ。北宮神社は航海と月に縁のある神様を祀る。だから、そこの神官である私はその加護を受け取ることが出来るの」
 厄介だ、そう日向は感じた。彼女がわざわざこの時間帯を選んだのも天秤を自分に傾けるためだろう。つまり、この澄みきった満月の夜という状況は、彼女にとっての"テリトリー"を敷いた状態に等しい。
 術師というものは異界の住人や何らかの敵対者と対峙する際、しばしばテリトリーと呼ばれる陣を敷く。それは、その場所を自分にとって有利に作用するように作り変えることだ。しかし、実際に木や石などの配置などを変えるわけではない。俗に龍脈などと呼ばれる力のの流れを自分の行使する術に適したものなるように一時的に作り変えたり、そもそもその力を自分に取り込んだりするのだ。
 このテリトリーはものの数秒で完成するものではなく、簡易なものであれば数時間、ある程度しっかりしたものを築くとなると数日とかかる代物のため汎用性に欠け、加えて、一度その陣から抜けてしまえばその優位性は即刻失われてしまう。
 だが。
 望月は夜の世界からの加護を受けている。加護というのは性質こそ違うもののそれのもたらす効果はテリトリーに近いものだ。今という時が満月が出ているこの澄み切った夜である限り、彼女はその恩恵を受け続ける。
「平時であればといって負けるつもりはないのだけど、この時間帯を選んだのはより勝負を確実にするため。ごめんなさいね」
「構いません」
 日向は刀を中段に構える。あくまで王道で攻める。どうせこの夜は全て彼女の縄張りなのだ。小手先の技術を弄した所ですぐに見破られてご破産となってしまうであろう。ならばこの膠着状態を打破するために、少しずつこの決闘における賭け要素の高い踏み込みの割合を増やしていき、そして彼女の喉元にこれを突きつけて降参させる。
 日向は博打という不確かな要素は好きではない。確実に目的へと至る方法が存在するならば、例え成果が少なくとも迷わずその方法を取るだろう。だが、彼は小心者でもない。必要とあれば自身を危地へと放り込む勇気をも持ち合わせていた。
「あくまで正道か。本当に眩しい人ね、貴方という人は」
「行きます」
 踏み込み。その切っ先は既に望月の眼前にあった。
「甘いっ!」
 真上に蹴り上げて刀を弾いた。その体勢を元に戻さぬまま、日向へと銃弾を放つ。
 日向は一旦刀を離しつつ体を捻ってそれを躱す。そのまま右足を軸に体を回転させながら刀を握り直し、望月に振り下ろす。
 望月は右方へと跳躍して躱しつつ、両手に構えた銃から弾を惜しみなく放った。しかし、日向はそれも全て叩き落としてしまった。
 もう少し。日向は手応えを感じた。今回は今まで踏み込めない所までに手が届いた。もう少し、もう少しだけリスクを承知で踏み込めば、取れる。
「このままじゃ不味いわね」
 誰にともなく望月は呟く。
「いいわ。出し惜しみしてる場合じゃないってことね」
 望月は徐ろに銃を羽織っていた装束の中に仕舞い、何処からともなく御幣を取り出した。ぶつぶつと何かを呟いている。
 切り込むべきか。一瞬、日向は判断を迷った。しかし、その躊躇が間違いであったとすぐに悟ることとなった。
 周りを包み込んでいた空気が変わり、辺りの澄んだ空気には彼女の気配が漂い始めた。それでも澄んでいることに変わりはなかったが、まるで春の匂いが秋の匂いに取って代わられたかのように、その性質は著しく書き換えられてしまったように感じた。
 神詠み、だろうか。日向はそう判断した。自身に神を降ろす巫術と呼ばれるものの一つ。神を降ろすにはその神の加護を受けていなければならない。また、加護を受けるには基本的にその神を信仰しなければならない。つまり、降ろす神というのは普段信仰を捧げているものに限られる。
 ならば月か航海にまつわる神であろう。日向は刀を構えた。問題ない。それを踏まえた上で対処すればいいだけのこと。
「いつでもどうぞ」
「ええ、では遠慮なく」
 そう言うと同時に、愛刀である天目一箇に力を込める。ここで一気に決めてしまう。それは、日向の決意の表れであった。
 望月の背後に水で編まれたと思しき剣がいくつも現れ出る。それは、不可解な軌道を描きながら日向へと向かっていく。
 なんて子供騙しだ。目を瞑っていても対処出来る。日向は腰を低くして刀を横に大きく薙ぐと、水の刃はその形を失い、辺りに飛び散った。
 そのまま日向は望月へと駆ける。望月は先と同じように水の刃を持って応戦するが、それらは全て日向に切られてしまう。そして、自身の攻撃が届く位置にたどり着いた。
 望月は躱す素振りを見せない。ただ御幣を刀の如く構えるだけ。
 神を降ろせど所詮は人間、日向は後ろに引いた刀を逆袈裟に斬り上げた。その身が格のある神であるならばいざ知らず、行使するのはその人間の力によってというのが原則である。これは神を降すつもりで放った渾身の一撃。先程までとは訳が違う。人間には防げない。
 これで詰めだ。日向は確信した。
 しかし、日向の確信は一瞬にして払われる。
 刀はその質素な神具によってそれ以上の軌道を描くことを止められてしまっていた。
 日向は刀を引いて、何度か攻撃を試みる。しかし、それらが望月には届くことはなく、全て振り払われてしまった。
 刹那、斬撃の間隙を縫って御幣が日向を目掛けて突き出された。
「くっ」
 咄嗟に日向は大きく後ろに跳躍した。
「人間……?」
 日向は感じた疑問をただ率直に口にした。望月はその問いかけにわざとらしく首を傾げてみせた。
「唐突に何を言い出すのかしら? 見ての通りよ」
「そうですか」
 日向は刀を後ろに引いて、腰を下ろす。
 かっと目を見開くと、刀が眩いほどの光を帯び始め、日向の周囲は静かに風が舞い上がり始めた。
「なるほど、本気というわけね」
 望月は御幣を横に凪ぎ、それからそれをそっと前に放った。御幣は落ちることもなく宙に浮き続け、望月はその前で右手を翳す。
「日向さん。私がこれを防ぎきったら私の勝ち。私が防ぎきれなかったら貴方の勝ち、ということでどうでしょうか?」
「承知しました。シンプルで実にいい」
「では、参ります」
 静かな雄叫びと共に、日向は力まず、しかしありったけの力をもって刀を振るった。
 そこから放たれた光の奔流は瞬く間に周囲を眩い光に包み込んだ。それは夜であることも相まってか一層周りとのコントラストをくっきりと浮き立たせ、まるでそこだけ光の世界に呑み込まれてしまったかのようだった。
 望月はそれを正面から受けて立った。その奔流が自らの結界に当たった時、まるで太陽とでも対峙しているかのような錯覚に襲われた。
「大したものね、これは」
 望月はきつく結んでいた口の中で歯ぎしりした。結界自体は考えられる限りで最大級のものだ。ただ防ぐだけなら、小島を木っ端微塵にするようなミサイルだって防いで見せる。人間が放ちうるものでこれを破るものなど存在しないのだ。
 しかしこれは桁外れだった。影響範囲こそ狭いものの、只一人の曲者を倒すという一点においてこれは何者をも凌駕していた。
 それでも、防げる。望月はほぼ確信に近いものを感じた。このままいけば力はほぼ使い果たすだろうが、これを防ぐことはできる。日向はどれほど消耗してしまったのかは知らないが、仮に日向がまだまだ余力を残していたとして、約束を反故にするような男には到底見えないから、この後自分に襲い掛かってさやの居場所を聞き出すようなことはしないだろう。
 まだまだ青臭いわね、望月はニヤリと笑った。おそらくこれまで押し負けたことなど、挫折などなかったのだろう。だからこそ、自分の提案にためらうことなく乗った。この青年には悪いが、そのプライドをへし折らさせてもらう。
 この勝負、勝った。望月は確信した時だった―― 
「えっ?」
 別方向から何かが飛んできた。
 それはおそらく矢であった。
 恐ろしい風圧を伴って向かってくる矢を望月は忌々し気に睨んだ。
 いや、正確にはその向こうにいるよく見知った男を。