異界手帖 十章:結

 坂上は俯いて下の畳を見つめていた。そんな男の様子を望月は表情の読み取れない顔で見ている。
「郊外の竹林に、幻のような石段と門、ですか」
 弓納がぽかんとしながら言った。
「結ちゃん、ね。信じられない」
「法螺を吹いてるって言いたいのかい」
「いいえ。そもそも、前から気になってたことがあるの」
「何だ」
「結ちゃんのことよ。少なくとも、私の調べられた限りでは結ちゃんは貴方の実の子供じゃない。どうかしら、当たってる?」
「ああ、その通りだ。当たってるよ」
「じゃあ、もう一つ。結ちゃんは"何処で拾ったの"?」
 拾ったの、と来たか。坂上としては今更隠すようなことでもなかったし、必要があればこちらから話すつもりであったが、それでも目の前の女の指摘に思わず胸を突かれたような気分を覚えた。
「さっき話してた中に竹林の祠が出てきたろ? その前で拾った」
「やっぱり、捨て子だったのね」
「ああ、正真正銘出所不明の子供だったが、流石にそのままにするわけにもいかねえからな。でも何でかね、別に子供を育てたこともなかったのに、妙にあの子のことが気になってな。結局自分で育てることにしたんだ」
 そう言いながら当時のことを坂上は思い出していた。結婚をしたことこそあるものの、結局子供を育てるという機会に与ることはなかった。それなのに何故自分はあの子を育てることにしたのであろうか? たとえ経験せずとも子供を育てるということがいかに大変なことか、よく分かっているつもりだった。あの日あの場所であの子に会ったことに運命を見出したわけでもない。それどころか、単なる偶然であったとすら思っている。只、たまたまあの場所で出会っただけ。
 だが、偶然か必然かなどは坂上にとってさして意味のあることではなかった。あの子を見た時、その存在に触れた時、決めたのだ。叶うなら、自分がこの子を育てようと。
「でも、何でそんな事を話す気になったのかしら」
 少し物思いに耽っていた坂上はハッとして顔をあげた。
「そうだな、俺じゃどうしようもねえと悟ったからだ」
「悟ったとして、私達にどうしろと」
 淡々とした口調。突き放しているのか、ただ単に疑問を投げかけているのか。しかし、坂上はそんな相手の窺い知れない意図など気にも止めずに頭を下げて口を開いた。
「頼む。あいつが何をしようとしてるかまでは分からねえ。だが、俺の出来る事なら何でもするから、結を連れ戻してくれ」
「丁度いいじゃねえか。有益そうな情報が――」
 言いかけた所で天野は望月に手で制され、口を閉じる。
「天野君、ごめんさない。黙ってて」
 束の間、場がしんとした。
「坂上さん。貴方が見たのは確かに結ちゃんかもしれない。でも、その子はもう貴方の知っている結ちゃんではないわよ。それどころか普通の人間じゃない。彼女が"異質な存在"だということを理解してもなお―――」
「ああ当たり前だ。そんな事重々承知だ。それでも、俺の娘だ」
 望月は少し思案した後、やれやれとばかりに小さく首を振った。
「貴方の未練をすっぱり断つ方法なんてさっぱり思いつかないわ。分かりました。少し乱暴になるかもしれないけれど、結ちゃんを連れ戻せるよう善処しましょう」