鬼姫奇譚 三章:遺恨

 菅原大学の図書館。その個人自習室を使って天野は報告書をまとめていた。定期経過を国の機関である弓司庁へ知らせるために書いているものだ。
「毎度面倒だな。とはいえ、とりあえずそれらしい成果は書いとかないと、本当に仕事しているのか疑われてしまうし」
 弓司庁は異界騒ぎと呼ばれている一連の事件、怪異を取り扱っている。本来妖怪の類による事案は弓司庁が担うものであるが、現実問題として人員も少ない彼らに全てを対処する余裕はない。そこで考え出されたのが客士という制度である。市井の専門家を半公共的に召し抱えることによって、各地に散らばる異界騒ぎを抑えていこうとしたのだ。
 当然、客士や彼らに出す依頼は弓司庁の業務・管轄となる。そのため弓司庁から来た依頼については定期経過などを報告していかねばならない。もし報告を怠れば注意や勧告、依頼取り下げといったことも起きうるし、最悪の場合は適正を問われて客士の資格を剥奪といったこともあり得る。
「しかしこういうのを書くのは胃が痛くなる。全く、世の中ナーバスだな。もっと大らかに生きようぜ」
 誰にともなく愚痴を言っているところに、電話の着信音が響いた。天野は電話を手にもってその画面を見る。電話の主は望月からだった。
「はい、もしもし」
「あ、天野君? やっとつながった。貴方今何処にいるの?」
「何処って、そりゃあ大学だが」
「んー微妙な距離ね……じゃあいいや。このまま言うわ」
「何だいきなり」
「今、神社に頭に角の生えた男がいるのだけど、その子から面白いことを聞いたの」
「ほう、それはどんな」
「この神社にちょっと厭世的な雰囲気を漂わせている男がいる筈だから、折を見て捕えろ。そう言われたって。貴方何かした?」
「いや別に心当たりはないが。それが誰に言われたのか分かるか」
 そんなに俺は厭世的に見られてるのかね、と心の中で毒づきながら天野は尋ねた。
「親方様とかなんとか言ってたわね。生憎親方様の名前とかは知らなかったけど」
「おいおい、親方様ってのはそいつの主人だろう? 知らないなんてことはない筈だ」
「いいえ、隠しているでもなく本当に知らないみたいよ。普段から親方様、なんて呼んでるからうっかり忘れちゃったのね」
「そんな馬鹿な話があるか」
「でも事実だから仕方ないじゃない」
「ま、いいや。情報ありがとよ。悪いがまた何か分かったら教えてくれ」
「はい。じゃあ何か分かったらまた連絡するわね。それじゃ」
「おっと、すまんもう一つ」
「なに」
「太君が来ても、あまりそいつに近づけすぎないように」
「そうねー。それはもう遅いと思うわよ」
「は? それは一体」
「じゃあね」
 電話は一方的に切れてしまった。
「はあ。まあ、望月がいるなら問題ないか。それよりも――」
 報告書に目を移すや否や、再び電話の着信音が鳴る。天野は鬱陶しそうに電話を取った。
「今度は誰だ……ああ、彼女か」
 天野は電話の主を確かめ、電話を取る。
「もしもし、あ、先生ですか」
 電話の主は八重千代であった。天野は以前会った時に八重千代に連絡先を教えていた。
「はい。どうされました」
「大変です先生。どうしましょう」
 少しまくし立てるような口調で八重千代は言う。
「落ち着いてください。一体何があったんです」
「盗られました、盗られてしまったんです!」
「ええ、落ち着いてください。一体何を盗られたというんですか?」
「八津鏡(やつかがみ)、千方院家の家宝です」
「それはお気の毒に……っていう話ではないんでしょうな」
「ええ。只の金品財宝ではありません。いえむしろ、市場的な価値等は皆無です。ただ、悪用すれば恐ろしいことに、ああもうなんてこと」
「誰がとったかの目星は?」
「きっと、聡文達です。彼が私を惹きつけている間に、他の協力者が取ってしまったのでしょう」
 目的は私なんかじゃなかった。八重千代は嗚咽するように呟く。
「なるほどな」
「あ、あの」
「どうしました?」
「申し訳ございません。このようなことを先生に連絡してもご迷惑なだけなのに」
「いえ、別に構いませんよ。人に話を打ち明けてもらうというのは頼られているようで悪い気はしない。それに、私も無関係じゃありませんからね」
「それは、どういう?」
「先日お話したことを覚えておいでですか?」
「ええ。鬼惑い、でしたか」
 八重千代はそのことで天野が何を言わんとしているかを瞬時に理解する。少し考えれば分かってしまうことだ。自分が何故天野に何も言わなかったか。
 天野は口を開く。
「市中の鬼は大方、聡文君か、あるいはその関係者の仕業でしょう?」
「……ええ、そう考えて間違いないでしょう」
「じゃあやはり私は無関係ではない。いかなる理由であんなことをしていたのかは定かではないが、いずれにせよその原因を突き止めないことには私の仕事も終わらない」
「ですが、もう鬼惑いはなくなったと聞きます」
「しかし、根本的な原因は解決していないでしょう」
「何故そこまで」
「なに、それが仕事ですから。それに、貴方は私に協力を仰ぐつもりで電話をかけてきたのでは?」
「そ、それは」
 痛いところを突かれて、八重千代は胸をドキリとさせる。
 何故、自分は天野に電話をかけたのか? それは、ともすれば彼を……
「まあ仮にそうでなくとも、私は私の方法で探すまで」
「ふ、ふふ」
「どうしました?」
「いいえ、なんでもありません。ただ、自分のやらしさが嫌になっただけです」
「は、はあ」
「先生」
「はい」
 八重千代の凛とした声音に、天野は見る者もいないというのに思わず崩れていた姿勢を正す。
「恥を承知でお願い申し上げます。どうか、私にご協力いただけないでしょうか?」
「ええ、もちろん。相受けたまわりました」