ロストミソロジー 十三章:古き堕神

 天野はポートタワーから飛んで降りて来る。通常、百メートルくらいある建物から飛び降りたら即死するものであろうが、フミツカミで全身を覆っているためか、まるで塀の上から飛び降りるくらいの軽やかさで着地した。
「大丈夫か、弓納」
 地上に降りてきた天野はそのまま広場の中心辺りで座り込んでいる弓納に駆け寄った。
 弓納はゆっくりと立ち上がりつつ、駆け寄ってくる天野に別の方向を指差す。
「私は大丈夫です。それより、はるちゃ、勘解由小路さんを」
「ああ、あの子か。分かった」
 弓納が無事らしいことが確認出来ると、天野は方向を変えて柵で気絶している勘解由小路の方に駆け寄っていった。
「どうも、初めましてかしら。お嬢さん」
 いつの間にか弓納の近くまで来ていたバルバラは弓納に声をかけた。
 弓納は一瞬バルバラの容姿を見て気後れしてしまう。
「は、はい。どうもです。えっと、貴方はさっき私を助けてくれた」
「バルバラよ。よろしくね」
「バルバラ」
 弓納は咄嗟に身構える。
「先程は本当にありがとうございます。ですが、貴方はさやを攫った――」
「ちょ、ちょっと。もうそんなつもりはないわよ」
 バルバラは慌てて弓納を手で制す。
「……どういうことですか?」
「だからもう、降参よ降参。貴方達と敵対するつもりはもうないわ」
「そう、ですか」
「そうよ。だからもう身構えないで」
 少しの間を置いて、確かにバルバラに敵意がないことを悟ると、弓納はようやくその緊張体制を解いた。
「あの」
「ん、何?」
「何で、さやを攫うようなことをしたのでしょうか?」
「ああ、それねー。こんなことを言うと身も蓋もないと思っちゃうかもしれないけど、一族の念願ってやつ? かな」
「一族の念願? バルバラさんは外国人とお見受けします。失礼ですが、この国と何か因縁があるようには思えません」
「ええ、おっしゃる通りね。確かに私は今はロシアに住んでるけど、それってご先祖様が元からそこに居たからってわけじゃなくて、この国から流れ着いて今のロシアに住み始めたからなの」
「え、ですが」
「言いたいことは分かるわよ。でもこの国だって、元々私みたいな容姿をした人間はいたのよ。でもね、神代の争いでそういう容姿をした連中は雲散霧消したわけ。もちろん、私が今ここにいるように生き残りもいるのだけど、ある者達はこの国から大陸へと渡り、ある者達はこの国で鬼やその他化生の類とされてきたり、もう散々な感じなんだそうよ」
 それからバルバラは天高く浮かんでいる幾何学の文様を見上げる。
「そんな私達ご先祖様達が一心に信奉してたのが、貴方の言ってるさやちゃん、ってわけ。ほんと、笑っちゃうわ。あんな少女に、皆一心不乱に頭下げてたんだもの」
「じゃあ念願というのは、さやが神様として目覚めること?」
「一族の念願としてはそういうことになるわね。でも、私はあまり人間が出来てないというか、個人的には結構どうでもよかったりするのよね」
「え、え」
 弓納は目を丸くする。聞き間違えたのか、そう思ってもう一度脳内で再生してみたが、やっぱりバルバラは「どうでもいい」と言っているようにしか思えなかった。
「だってもうとっくの昔に過ぎたことじゃない。今更ね、もう誰も彼も忘れかけてることを蒸し返すなんて子供とやってることが変わらないわ。いいえ、子供だってそんなことしない」
 それに、そもそもそういう昔のことにあまり興味が湧かないし、バルバラはボソリと呟いた。
「でもそれなら貴方がここにいる理由が」
「単純よ単純。今回の発起人であるショウイチとその一族に、私の一族は色々と恩があるから、子孫としての責務を形だけでも果たしておこうと思ったの。ま、最初約束していたことは実現させたし、あっちのお兄さんとの果し合いにも負けちゃったし、後は成り行きを見守るだけよ」
「さやは」
「うん?」
「さやは、あそこにいるんでしょうか?」
 弓納は上空の華を仰ぎ見ながら言った。
「そうね、彼処にいると思うわ」