異界手帖 二章:依頼

「生野さん。単刀直入にお聞きしますが、この周辺で変わったことがあったとは具体的にどのようなことなのでしょうか?」
「実は家の者が夜に巨大な変な影を見たことがある、などと申しておりましてな」
 向かいに座った生野は顎をさすりながら望月の問いに答えた。
「巨大な影?」
「ええ。人影、ではなかったようです。どちらかというと、尾ひれのようなものが付いていたので、魚類の類ではなかったか」
「魚類ですか。姿はハッキリと見られていたのでしょうか?」
「生憎、その者は黒い影のようなものしか見ておりませなんだ。申し訳ない」
「そうですか」
「ああ、ですがお待ちください。実は家に古い言い伝えがありましてな」
「言い伝え、ですか。詳しく聞かせてください!」
 太が身を乗り出して綱に尋ねる。
「はは、好奇心旺盛で結構。だがまあ落ち着いて」
「ああ、申し訳ありません」
 太は決まりが悪そうに頬を染めながらゆっくりと席に着く。その様子を見ていた望月は目を細める。
「助手が失礼をしました。この子、物書きをしているものですから、そういう話を聞くと血が騒いでしまうみたいなんです」
「いえいえ、それはとてもいいこと。好奇心は人を動かす原動力です。私達の文明も、人間の好奇心というものなくしてはここまでは発展しなかったでしょう。そしてこの少年、太君は特に好奇心が人一倍強いようだ。将来何をしてくれるか楽しみですな」
「い、いえそんな」
 太は赤面していた顔を一層火照らせる。
「よかったわね太君」
 小声で望月が太に囁くと、太は少し困惑した顔で望月を見る。
「からかわないでください」
「ふふ。さて、少し話が脱線してしまいましたが、その言い伝えというものをお聞かせ願えないでしょうか?」
「ええ、もちろん。祖先は江戸の頃にここに移り住んだのですが、その移住間もない時、その大きな影を見たことがあるというのです。最初は実害はなかったから放っておいたものの、徐々に家財を壊すようになっていったとのことで、腕の立つ者を何人か雇ってそれを討ち取らせました。死体はすぐに消えてしまったそうですが、その時その姿を目撃した者の証言を元に描かれた絵がございます。少々お待ちを」
 綱は玄関で二人を出迎えた家政婦を呼び出して、布にくるまれた絵を持ってこさせた。
「これがそうです」
 絵を望月に渡すと、太はそれを覗き込む。
「これは、鯰、ですね」
「ええ、鯰ね。それもとても大きな」
「今回噂になっている大きな影はその大鯰ではないのかと考えているのですが、専門家の意見は如何でしょうか?」
「しかし、その大鯰は死んでしまったのでは?」
「消えてしまいましたからな。死んだというのは早とちりで、案外気絶していただけかもしれませぬ」
「つまり、傷ついていた大鯰が再び目を覚まして地上に現れたと」
「まあそのようなところではないかと」
「あの、ふと思ったのですが」
 太が手を挙げた。
「おや、どうしましたか?」
「大鯰とはいえ、魚ですよね。そもそも地上にいるのは不可思議です」
「うむ、確かにそうですな。言い伝えには特に記載はなかったのでなんとも言えんのですが、どうせ只の鯰ではないから足が付いていたか、鳥のように羽でも付いていて空中を漂っていたのではないでしょうか?」
「そうねえ。まあ他には化けることも出来たなんてこともあるでしょうし、妖怪鯰なんだったら地上を動ける理由なんていくつもこじつけ出来るわ。それより、この目で見た方が早いでしょう。生野さん、何か他に情報があればご提供をお願いできますか?」
「はい、もちろん。私としても、そういう訳の分からない者がいるのは気が気でなりませんから、出来る限り協力させていただきます」