異界手帖 五章:生野綱という男について

「どうした、少しずつ撃つまでの間隔が広がっているようだが、いよいよ弾切れか?」
「さっきも言ったと思うけど、弾切れなんか期待しても無駄よ。まだまだ百発でも二百発でも撃てるわ」
 屋敷の大広間。中央階段の踊り場に刀を持って陣取る生野に望月は二丁の銃口を向けている。それが、望月の基本のスタイルであった。銃は"そういう類"に対して作用する特別性であり、中に実弾は込められていない。中に押し込めるのは魔力、霊力などと呼ばれる力を固めたもので、標的に当たれば跡形もない。いや、そもそも元から形などないのだ。弾丸は形がないものだからこそ、弾を持ち歩く必要もないし、物理的な弾切れなど存在しない。
 彼女がこの二丁拳銃を有事の際の基本スタイルとしたことに対した理由は存在しない。ただ、古来より存在する剣や弓などと違って謂われを持つことのないそれが、一体どこまで霊性を獲得し、実用性に耐えうるのか試してみたかったのだ。そして、結果として彼女はこれを気に入り、今の自分の基本スタイルとするに至った。
 太は別の所に避難させていた。無論、一人になった太が不意打ちを喰らわないように対策を施してはあったが、生野は自分に自信があるのかそんなことをするつもりは毛頭ないようでった。
「くくく」
「あら、私何かおかしいこと言った?」
「いいや。なあ、お嬢さん、そうだとしても無尽蔵ではないだろう」
「さて、何のことかしら」
「しらを切るつもりか。よかろう」
 生野が片手を前に突き出す。それに呼応するかのように望月の両手は引き金をひいた。銃口から放たれたものは生野の眼前に迫るが、生野はそれを叩きおとした。前を見るが、そこに立っている筈の望月がいない。
「何処見てるのかしら」
 生野は天上を見上げる。そこには銃を生野に向けている望月。
 銃声が何度も響く。しかし"弾"は弾き落とされ、地面に接触しては消えていく。
 生野は刀を構え、手すりに降り立とうとする望月に突き立てようとする。が、すんでのところで軌道をずらされ、よろけた生野にとび蹴りを見舞った。蹴り飛ばされた生野は広間の一階に難なく着地し階段に降り立つ望月を見上げる。
「困ったな、これでは埒が明かない」
「じゃあ貴方、降参してくれない? 私は別に貴方に酷いことをしようだなんて思ってないわ。あれさえ渡してもらえればそれでいい」
「ふっ、小娘め。ぬかすよな」
 生野が再び素早く手を突き出すと同時に望月はそこを飛び上がる。飛び上がると同時に望月のいた場所に衝撃波が起きた。階段にさしたる損傷はないものの、広間に響き渡る衝撃音がその威力を物語っていた。
 階段の前に降り立った望月は髪をかきあげる。
「危ないわね。さっきの当たったら即病院送りだわ。貴方入院費を出してくれまして?」
「保険に入っているなら問題なかろうよ。それにしても全く、可愛げのない。少しは怯えるものかと期待したのだが」
「ごめんなさい、ご期待に添えなくて。でも困ったわね。貴方が降参しないんじゃ、こうするしかないか」
 望月は胸に手を当てて、小さく何かを唱え始めた。
「何をしている」
 しかし、生野のその問いには答えず、望月はぶつぶつと呪文を唱え続ける。
「答えないのなら、こうするまでだ」
 生野は片足を持ち上げ、それから勢いよく地面を踏んだ。踏んだ場所から目にも止まらぬ速さで黒い影が伸びていき、望月の前まで来たかと思うと、地面から這い出て営利な突起物になった。それはそのまま望月を貫こうとする。
 しかし、その突起物が向かった先に望月の姿はなかった。
「鈍い」
 確かに聞こえた望月の声。生野は辺りの気配に集中する。
「おのれ」
 生野は何処にいるのか掴むことが出来なかった。それは気配が消えてしまったからではない。彼女の存在が辺りに満ち満ちていたからである。
「本当に人間か、貴様!」
「勿論」
 生野は背後を振り向こうとする。しかし、振り返ろうとした矢先に全身に強い衝撃が走り、広間脇の壁に打ち付けられた。
 生野は立ち上がると目の前にいるものを見た。
 そこにいたのはやはり望月である。その手には銃の代わりに大幣が握られていたが、その勝気な表情に見間違いはなかった。しかし、生野は何か違和感を感じた。
 彼女だけではない。望月詠子の体には、"彼女以外の何かがいる"。生野はそう直感した。二重人格なのか、と一瞬考えたが、別の人格が表に出ている気配はない。あくまでそこにいるのは今まで自分が対峙していた望月詠子である。
「私これでも神官なのよ」
 少しずつ距離を詰めてくる望月は言った。そうして、生野は彼女に感じた違和感の正体を悟った。
「神、か」
「察しがいいわね。"神詠(かみよみ)"、つまり神様を降ろしたの。まあ、降ろせる神様限られてるけどね」
「ふ、ふふ。最早遠慮する必要などなしか」
「あら、最初から遠慮する必要なんてないのだけれど」
 望月が大幣を横に薙ごうとする。
 しかしその動作が終わる前に、鈍く、重い重力を浴びせられたかのような威圧感をあたりが包み込んだ。
「なに、これ!?」
 意表を突かれて一瞬困惑した望月は生野の顔を見る。そして、望月は生野の顔に再び意表を突かれた。
「どうしたの、ゾッとしたような顔をして」
「まさか」
 生野の顔から一滴の汗が滴り落ちる。目をしきりに動かし、それから目を閉じて耳を澄ませる。
「……これは、間違いない。おのれ、厄介極まりないわ」
 恨めしそうに言った後、生野はそのままゆっくりと目を開け、入り口に向かってせかせかと歩を進める。
「待ちなさい。このまま行かせると思って?」
 望月の声に生野は顔を少しだけ傾ける。その静かな眼光は望月を一瞬たじろがせるには十分な鋭さをもっていた。
「お嬢さんよ、これは情けだ。儂も長らく人間として暮らしていた、いやむしろ魍魎として送った生活など取るに足らぬ時間だ。だから人間に情がある。よって今回は見逃そう」
「随分舐められたものね」
 望月は大幣を振おうとする。
「うっ!?」
 全身に悪寒が走る。それに気を取られていた望月はハッとして生野を睨みつけた。
「……貴方の仕業?」
「さて、どうかな。それはそうと君も早くここを出た方がいい。折角助けてやる命をこのまま散らせてはいかに儂とて寝覚めが悪い」
 そうしてそそくさと生野は入り口から出ていった。
「嫌な感じ。でも彼の言う通りね。一先ず、ここから出た方がよさそう」