鬼姫奇譚 一章:鬼惑い

「この時期になると、庭の梅が香ばしくなって、とてもいい匂いをさせるのです。天野様は花に興味はおありですか?」
「いえ、生憎あまり」
「そうですか。普段屋敷に篭っていると、こういうことばかりに目がいってしまいます。今時少々古臭いでしょうが」
「いいえ、そうは思いませんよ。少なくとも、花を愛でる女性というのはいつの時代も風情があって魅力的なものです。むしろ今時なぞはー」
「うふふ。口がお上手なのですね。そうして、何人の方を口説かれてきたのでしょうか?」
「ははは、そんなまさか。私みたいな根無し草に女性は寄ってきませんよ。いつも日々の生活で精一杯です、学校の非常勤講師というだけでは心もとない」
「あら、先生でいらしたのですね。智映ちゃんと同じ」
「あれの方が全然偉いですよ。まあ、あんなんだから丁重に接する気も失せてしまうのですが」
 八重千代は口に手をあてて、ふふ、そうですね、と目を細める。
「しかし貴方は随分なお嬢様のようだ。やはり、旗本か華族の末裔といったところかな? それとも、異人の末裔?」
「……私のことは、智映ちゃんから何もお聞きしていないのでしょうか?」
「さあ。貴方と知己であり、この件について何か手がかりを持っているかもしれない、ということ以外は何も聞いていませんが」
「そうですか。もう智映ちゃんったら、つくづく意地悪な方ね」
 庭の方を愛おしそうに見ていた八重千代は天野の方を向き、そっと告げる。
「天野様。突飛なことをと思われるかもしれませんが、私が仮に人間でないと言ったら、信じてくださいますか」
「さて、それはどうでしょう。裏稼業柄そういうのは見慣れていますが、ここまで人里で根を降ろしている例はあまりない。信じるにしても、何か証拠がほしいといったところです」
「そうですか。では、仕方ありません。少々強引ですが」
 そう言うや否や、八重千代の周りの風の流れが微かに変わり始めた。
 そしてそれは地に落ちていた木の葉を巻き込んで次第にうねりを大きくしていき、まるで生き物のように躍動し始めた。
「これは」
 天野は目を見開く。
「少しは驚いていただけたようですね。ですがこれはほんの前座。次にはこれを――」
 天野は慌てて彼女を手で制す。
「あ、ああいや。いいや。そこまでで大丈夫です。もう分かりました」
「あら残念。もう少し驚いていただこう、などと胸を踊らせておりましたのに」
 八重千代の言葉と共に、さっきまで踊っていた木の葉達は静かに地面に落ちていった。
「はは、そいつは結構です。しかし、貴方は一体……」
「旗本や華族の末裔ではありません。無論、異人の末裔でも。ですが、当たらずといえども遠からず、といいましょうか」
 そうして八重千代は静かにこう告げた。
 私はいわゆる鬼です、と。