鬼姫奇譚 六章:八津鏡

「しかしまあ、人っ子ひとりいないと高をくくっていたのになあ」
 先程八重千代に偉そうに指示を出した自分を恥じながら、天野はぼやいた。
 朝堂院と呼ばれる建物の区画。寝殿造りを思わせるその内部には砂利の敷き詰められた屋外広場があり、天野はそこの一角に立っていた。
「誰だ貴様!」「堂々と建物に入るとは、いい度胸だな!」「返答次第では、このまま帰すわけにはいかんぞ」方方から様々な怒気が発される。
 天野は異形の者達に囲まれていた。普通の人間に見えるような者もいたが、大抵はどこかに普通の人間では持ち得ないような特長を持っており、そもそも人の形をしていない者もいる。
「おいおい、返答次第では何もしないで帰してくれるのか?」
「そんなわけないじゃん」
 どこからか女の子の声が響き、天野は上を見上げる。
「よっ」
 広場の奥にある大きな瓦葺きの建物の屋根から影が飛び出たと思いきや、数十メートルはあろうかという距離を一気に詰め、天野の前へと降り立った。
 そこに立っていたのは、装束のようなものに身を包んだ、栗色の髪の女の子であった。
「誰だ。只の可憐な少女には見えないが」
「私は呉葉。『四鬼』って呼ばれてるちょっとした上役の一人なの。まあ閑職だけどね」
 そう言って呉葉は無邪気に笑う。
「それよりおじさん、さっきの話。あまり揚げ足取りはよくないよ」
「そいつは悪かった。切羽詰まった状況なんでな、つい少しの可能性でも縋りたくなっちまったのさ」
「ふっ、その割には随分落ち着いてるね」
「嬢ちゃん。大人ってのはな、どんな危機的状況でも努めて冷静でいるもんさ。例え心臓の音がバクバク言っててもな」
「へえ、そうなの。じゃあ」
 呉葉は瞬きもない内に天野との距離を詰めてきた。
「意地でも顔に出してもらいたくなってきちゃった」
「むっ!」
 天野は繰り出された拳をすんでのことで躱す。しかし、呉葉は右足を軸に体に回転をかけて回し蹴りを繰り出す。
「危ねえな」
「おっ!?」
 呉葉は天野へ向けていた脚の軌道をずらし、すかさず後方へ大きく退いた。
 天野の手には柄の短い斧が握られている。
「おじさん。やっぱり只者じゃないね? それは何かな?」
「一度にいくつも質問をするな。答えきれん」
「ごめんなさい、それじゃあ一つだけ。おじさん何者?」
「あーそうだな。俺は、そう、あれ、あれだあれ」
「え、何?」
「桃太郎」
 言うや否や天野は斧を勢い良く投擲する。
「ぷっ。桃太郎がまさかり担いで鬼退治というわけ。無茶苦茶ね」
 呉葉は投擲されたそれを難なく避け、そのまま天野に向かって直進していく。
「得物を放ってどうすんのよおじさん。それとも、拳法に自身ありってこと?」
「まさか。弓納じゃあるまいし」
「つまんないっ! じゃあ観念したってことね!」
 天野の前で大地を踏みしめ、渾身の一撃を繰り出す。
 しかし、天野に向けて繰り出した拳は途中で動きを止めた。
「えっ……」
「女の子にあまり手荒な真似はしたくないんだがな」
 呉葉のみぞおちに斧の柄がめり込んでいた。
「斧、さっき投げたじゃん」
 呉葉はそのまま崩れ落ちてその場に倒れた。
「確かに。だが少し考えるべきだったな、嬢ちゃん。斧はどこからどういう方法で出したのかを。って、聞こえてないか」
「呉葉殿っ!」
「貴様っ! よくも」
 周りを取り巻いていた妖怪が再び騒ぎ出す。
「気絶してるだけだ。大体、そっちが先に吹っ掛けたんだろう。なんで俺が悪者みたいになる」
「ええい、黙れっ! もはや只では済まさぬ。かくなる上は」
「おっ!?」
 妖怪の騒ぎを気にも留めず、天野は突然目を見開く。
「万が一と思っていたが。憑けといて正解だったな」
「何をブツブツ言っている」
「しかし参った、どうも逃がしてくれそうもないな。全部相手にするわけにもいかんし、どうしたものか」
「困ってるようね。手助けは必要かしら」
 入り口の門の方から聞き慣れた女の声がした。天野は振り向いてその声の主を視認する。
「お前、どうしてここに」
「細かいことは後。それより、さっさと終わらせましょう」
「ああ、願ったり叶ったりだ。そして可能なら、この場を引き受けてほしいが」
「……はあ、なんとなくそう言うと思ってたわ。いいけど、代償は高くつくわよ」
「分かってるよ。ったく」
 お前に借りを作ると後が怖い。天野は心の中で呟いた。