鬼姫奇譚 七章:わだかまり

「体の方はどうかしら?」
「本調子ではありませんが、まあ日常生活には特に問題はないといった具合です」
「そうですか。それはよかった」
「といっても、調子が戻って業務に励むということもないのですが」
 幸い八津鏡による被害は取り返しのつかないことにはならなかったものの、聡文は仙崖郷の有力者が集まる会合で当面の間謹慎処分ということになった。
「経緯はどうあれ、多方面に迷惑をかけてしまったのですから当然のことですが。むしろ、謹慎処分などと軽いものでよかっただろうかと」
「追放とかもあり得たよね。でも聡文さん。貴方がいないと困るからね。今回のことだって、手段はともかく、皆も納得してくれたのだし。っていうか、あんなうすら暗いこと普通公で言わないよね。聡文さんってホント真面目」
「こら、やめないか」
 横から嬉々として口を挟む呉葉を、聡文は牽制する。
「それはそうと、なんだって俺まで呼ばれているんだ。言っちゃなんだが、君とは縁もゆかりもない筈だが」
「いえ、大いに関係がございます」
 そう言うと、聡文は深々と頭を垂れた。
「数々のご無礼、弁明のしようもない。こんな頭をいくら下げたところで何の意味もないが」
「はあ。さっきも同じように謝罪されたが別に気にしちゃいないよ。もし申し訳ないと思うのなら、さっさと頭を上げてくれないか」
「しかし」
「聡文、頭を上げなさい。それとも、貴方は先生の意志を尊重しないと言うのですか」
「聡文君。俺より八重千代殿に詫びてやれ。まあ、あれだ。色々と心労をかけたんだ」
 聡文は頭を上げて八重千代の方を見る。
「あ、あの」
「千方院秀明のことは調べました。貴方達にとっては憎むべき仇敵でしょうが、ただ、彼は単に貴方達を憎く思っていたわけではなかったみたいです」
「……ですが、私達を罠に嵌めて」
「ええ、千方院家を守るために」
「え」
 聡文は目を見張った。
「彼は当時弓司庁にいました。そこで、微妙な立場にいたのだと思います。離反した聡文達はもとは千方院家とそれに近しいもの。もし貴方達が反乱でも起こせば、自分はおろか千方院家も影響があったことでしょう。彼は最悪の場合、千方院家がなくなってしまうことを恐れ、取引をもちかけたのだそうです。つまり、『離反した者達の元いた家はそのままにしてやってくれ。代わりに、離反した者達は大事になる前に自分が討ち取るから』などと」
「そうですか」
「ごめんなさい、こんなことを聞いたところで貴方達の怒りも気持ちも晴れないでしょうが、ただ、彼がどう考え、どう動いていたかは伝えておきたかったのです」
「いいえ、ありがとうございます。それが聞けて、よかったです」
「聡文」
 多分、彼は秀明のことを許したわけではないのだろう。あの戦いで力尽きた者も少なくない筈だ。そんな言い訳を聞いたところで許せるものではない。
 ただ、秀明のことだけは伝えておきたかった。それが何のわだかまりを消すことにはならないとしても。
「八重千代殿」
 横にいた天野が八重千代に語りかける。
「はい、何でしょう、先生」
「あの、ですな、もう一つ言うことがあるでしょう」
「え、あ、はい。そうです。そうでした」
「は、言うこと、とは?」
 聡文が怪訝な顔をして尋ねる。しかし、それは聡文が想定していたものとは異なるものだった。
「聡文。たまには家に顔を出してくださいな。人がいなくなって結構寂しいんですよ」
 その言葉に一瞬聡文は言葉を詰まらせた。
「な。本当に、貴方という人は……」
「聡文?」
「まあ、気が向いたら伺わせていただきます」
 聡文は決まりが悪そうに目をそらしながら言った。それを聞いて、八重千代は目を細めた。
「よかった。では、その時を楽しみにしていますわ」