ロストミソロジー 六章:炎の巨人

 市内に三つある菅原大学の江崎キャンパスに着いた頃には夕日はとうに落ちてしまっており、辺りはすっかり暗い夜の色に染まっていた。門から見えるキャンパスの中は夜ということもあってか所々電気は付いているがまるで人気はなく、まるで廃墟一歩手前のような寂しさに包まれている。
「さ、着いたよ。お父さんがどの建物にいるか分かる?」
 キャンパス内に悠然と聳え立つヤシの木と思しきものを尻目に勘解由小路は手を繋いでいた少女に語りかけた。もしかしたら以前キャンパス自体には連れてきてもらっている可能性があるから、父親が建物の中の何処にいるのかは把握しているかもしれない。
 すると少女は手を離し、静かにキャンパス中へ小走りに入っていった。勘解由小路も慌てて後を追って入っていく。
「ちょ、ちょっと待って、ゆきちゃん。ここってそれなりに広いだろうから、迷子になっちゃうかも」
 整備された石畳を少女は迷う事無く進んでいく。その様子を見て、勘解由小路は場所は分かっているようだと走りながら少し胸を撫で下ろした。
 しかし、その安堵も束の間、何故か少女は建物ではなく、運動場と思しき広場に入っていった。勘解由小路は怪訝な顔をして運動場に足を踏み入れた。
「ゆきちゃん。何でこんな所に?」
 まさかここで父親と落ち合うという算段ではあるまい。疑惑の晴れぬまま広場の中心に立ったまま微動だにしない少女に手を伸ばそうとする。
 あれ?
 こんなにこの子大きかったっけ?
 少女の方に伸ばそうとした手はその肩のあたりに触れようとした。しかし、その少女が一歩前に進んだことでその手は空を掴むことになった。
「残念だけど、ここに私のお父さんはいないわ」
 その少女は振り返って言った。勘解由小路は目を見張る。
 それは、小学校高学年か中学校初学年程の長い黒髪をなびかせた美少女だった。
「騙してしまってごめんなさいね。これは簡単な幻術よ」
「ああ、そういうこと。すっかり油断してたよ、ゆきちゃん。これは誰の差し金かな?」
「それもごめんなさい。私の名前は坂上結。さかしたゆきではないわ」
「あちゃー、色々騙されてたわけね。穴があったら入りたいよ」
 そう行って勘解由小路は少し誇張気味に頭を抱える。
「それで、改めて聞くけど誰の差し金なのかな?」
「俺だよ、勘解由小路さん」
 勘解由小路は振り向いた。そこにはいつからいたのか、天野が立っていた。
「ご苦労様だ、結ちゃん」
「いえいえ、困った時はお互い様」
「なるほど。飛んで火に入る夏の虫、っていうのかな。これは」
「さてと。一応聞いてみるが、俺のことを放っといてくれる気はないかな?」
「断じてない」
 勘解由小路は人差し指で天野を指差す。
「嬢ちゃん。ここにはあんたの陣もない。そんな状態で一体どうするつもりだ」
「別にどうということもないです。それでも貴方をのすくらい造作もない」
 そう言うと、少女はその人差し指で空に何かを書くような仕草を見せた。すると、その書いた場所に文字のようなものが浮き出て、それは目に見えるような空気の塊へと形を変えていった。
「ルーン魔術の真似事か」
「まさか陣がなくなったら何も出来ないなんて思ってないでしょう。行くよ!」
 生成された空気の塊をデコピンで弾いた。その空気の塊は弾け、豪風となって目の前の的目掛けて襲いかかった。
 天野はすかさず手を前に翳す。
 フミツカミ。呪力のこもった文字によって超自然的現象を起こす力。天野はそれを翳した手の平から解き放ち、自分の目の前に結界を作った。
 相手の体を砕かんとする程の豪風は結界によって脆くも雲散霧消し、周囲に砂嵐を巻き散らした。
 勘解由小路は既に次なる行動に移っていた。彼女は天野が結界で第一撃を防いでいる間に後ろに回り込み、内に忍ばせていた伝説の獣を象った紙を投げつける。紙はみるみる内にその形を変え、本物となんら変わりない形となって天野に襲いかかった。
「偽神の法ってやつよ。防いでみなさい!」
 グリフォン。古くはギリシャ神話にも登場する伝説の獣。それが、今まさに天野の上に覆い被さろうとしていた。
「ふんっ!」
 しかしそれは次の瞬間、首元を両断され、その勢いで横に吹き飛ばされてしまった。それは血飛沫を上げることもなく、やがて首元が千切れた紙へと戻っていった。
「張りぼてじゃ、いくら獰猛な獣でも役に立たんぜ」
 天野は手に斧を持っていた。
 それを見た勘解由小路は歯ぎしりをしながら笑う。
「フミツカミ、とかいうやつね。それは私が受け継いだライブラリには存在しない。まあ当然よね、千年以上前にはもう"無くなった技術"、なんだもの」
「教えてやってもいいぜ。ただし」
「諦めたら、とか言っちゃうのでしょう?」
「察しがいいな」
「断固拒否です。第一、教えてもらって使えるようなものとは思えない」
「そうか、残念だ。じゃああんたには痛い目にあって反省してもらうだけだ」
「……構えなさい」
 勘解由小路は内ポケットから二つのペンを取り出して投げた。放たれたペンは一人出に動き始め、彼女を中心にあっという間にグランドに紋様を刻んでいった。
 紋様は刻まれていった先から赤白く光っていく。
「なんだ、今度は何をするんだ」
「我が名は勘解由小路の晴。この身は塵芥の如き極小の点なれど、いやしくも大命を拝しジンムが兵。覚悟せよ、人身やつす神の徒よ」
 赤白く光っている紋様から巨大な剣を持った大きな右手が這い出てきた。次いで左手、顔、ヴァイキング風の鎧を纏った胴体と腰、そして足。
 それは、三メートルを優に超える炎の巨人であった。
「まじかよ」
「ここからが本番よ。行きなさい、ムスペルヘイムの巨人よ」
 巨人は跳躍して天野の目の前に着地したかと思うと、手に持っていた大剣を振りかざし、天野目掛けて振り下ろした。天野は手にしていた斧で真正面からそれを受け止める。
 地面はまるでアップルパイの生地の如くに砕け、上空高くまで砂塵が舞い上がった。
「ちっ、今度は張りぼてじゃねえな」
 これは式神だ。"ちゃんと元がある"。だが、元が規格外だと、天野は瞬時に悟った。
「神霊だよ。神様に式を施した。巨人の式だから結果あり方が真反対になっちゃったけどね」
「へえそうかよ」
 巨人は刀を振り上げ、横に薙いだ。天野は自分の得物でそれを防ごうとしたが、その剣圧に足の踏ん張りが効く筈もなく、豪速球の速さで吹き飛ばされてしまった。
「やれやれ、色々と無茶苦茶するから、本体の良さが活かせていないようだな。お陰で助かったぜ」
 天野は斧を構えていた。巨人は様子を窺っていたが、間もなく天野目掛けて突進する。
 辺りに静寂を打ち破る剣戟が響き渡る。勘解由小路は、そんな彼らの攻防をまるで他人の如く眺めつつ、横目に近づいてきた少女へと意識を集中する。
「神霊である素体に相反する存在、しかも異なる神話体系である巨人の式神を降ろすなんて馬鹿なことをしたものね。貴方あれを十分に制御出来ないんじゃなくて?」
「結ちゃん、だっけ。グランド包み込んでるこのやんわりとした結界貼ったの貴方ね」
「そうよ。こんな所で派手に暴れられたら近所迷惑ですから」
「お気遣い痛み入るわ。ついでに言っておくと、傷付かない内に大人しく帰りなさい」
「貴方は今あの巨人に自分の源(リソース)のほとんどを割いている。それなら」
「それなら、何かしら」
 確かに、あの巨人を稼働させるために力の大部分を割いてしまっている。だが、それが何だというのだ。
「お嬢ちゃんじゃ私に傷一つ付けられないわよ。さ、いい子だから大人しくお家に帰りなさいな」
「そうね。もう少し観戦してから帰ることにするわ」