ロストミソロジー 六章:炎の巨人

 十数分が経過した。
 依然、巨人からの猛攻を天野は防ぎ続けていた。
 天野から巨人に対しての反撃は殆どない。傍から見れば、いずれ天野が蹴散らされてしまうのは明白であった。しかし、勘解由小路は時間の経過と共にその表情を徐々に固くしていった。
 うっそでしょ、勘解由小路はポツリと呟いた。背筋を嫌な汗が伝っていく。
「ここまで保つなんて、信じらんない」
 勘解由小路は歯ぎしりする。自分の見立てでは、とっくにこの戦いに決着は着いている筈だった。なのに、目の前の光景は自分のその見立てを嘲っているかのよう。
「どうしたのかしら?」
 結と名乗った少女の声がした。勘解由小路はハッとして横を振り向く。
 少女はラグビー用のポールに寄りかかって本を読んでいる。本を殆ど横に傾けているので、何を読んでいるのかは判然としない。
「別に、何でもないよ。それにしてもさ、結ちゃん。まだ帰ってなかったのね」
「ええ、折角だから終わりまで居ることにしたわ」
「止めといた方がいいよ。おじさんの非道い姿を見るかもしれないからさ」
「さて、それはどうかしら」
「そう。じゃあもう止めないよ」
 高い金属音が響いた。天野が持っていた斧が中高く舞い上がっている。
 とった、勘解由小路は確信した。
「Zerquetsch!(叩き潰せ!)」
 巨人がその巨大な剣を大きく振り上げ、天野目掛けて振り下ろす。
 終わった! 勘解由小路はホッと息をつこうとした。
 しかし、勘解由小路は目の前の光景に目を丸くした。
 墨状の鎖。それは炎を纏う魔人に絡み付き、その自由を封じてしまっていた。鎖の元は天野。彼は額から血を流し片腕を抑えながら地面に膝を付くという、いかにも満身創痍といった様子であったが、手から伸びた怪物を押さえつけるその鎖を力強く握りしめていた。
「な、何で」
「ありがとよ、嬢ちゃん」
「え」
「これを待ってたんだよ。あんたが勝利を焦ってこいつに命令する時を」
「は、どういうこと」
「俺は姑息なんでな、少しずつこの鎖を地面に仕掛けてたんだ。で、あんたが命令した途端大振りと来た。こういうやつは命令されたらその作業が終了するまで別の動き出来ないだろ。だからそこで一気に巻き付けてやったんだよ」
「巫山戯てる。無茶苦茶だ」
 勘解由小路はその様子に困惑しながらも、相手の様子を窺った。どうやら、あれで精一杯らしい、そう彼女は確信する。
 ではどうするべきか、勘解由小路は迷った。自陣の中ならいざ知らず、こんな空間内ではいつまでもあの巨人を出し続けられない。
 今もこうして確実に自分の魔力は枯渇へと近づいていっている。では天野はどうなのか? 見たところ今にも力尽きそうな状態だ。ならば根比べといくべきか。勘解由小路は内ポケットに戻していたペンを地面に差す。
 性質探査(スキミング)。相手の基本ステータスを調べるためのこの技術は有用性が低いことから殆ど使われなくなってしまったが、こういう身動きが取れない相手のスタミナを図る時には役に立つ。
「……は、嘘でしょ」
 勘解由小路は戦慄した。やはり自分の見立て通りだ。この男、許されるなら後一ヶ月でも、いや、下手をすれば一年でもこの膠着状態を続けられるだろう。
 待っているんだ、私が力尽きるのを。今は、私が力尽きた後の事後処理でも考えてるんだろう。
「そうはさせない」
 思い通りになってたまるか。勘解由小路は巨人に割いていた力のいくらかを自分に戻し、足元に魔力を集中させる。
 直接天野を叩く。何かを隠し持ってるかもしれないが、そんなことは関係ない。むしろ危険なのはこのまま事の推移を見守ることだ。それは、確実に勘解由小路を敗北へと導く。
 やらなければ。決心を胸にふと勘解由小路は横目で黒髪の少女を見る。そして、少女が何か言っているのが分かった。
 足元に気をつけなさい。
 何の意味か理解出来なかった。いや、理解する必要もないのだろう。どうせ自分を混乱させるための意味のない情報なのだから。
「Flieg!(翔べ!)」
 彼女は真横に跳躍した。それはさながら、ハヤブサの如き速度であった。
 天野はそんな勘解由小路を一顧だにしない。彼女はこの状況においてまるで自分が軽んじられているかのような感覚を覚え、そして苛立たしく感じた。
 上等じゃないの。だったら、痛い目見るといいわ。勘解由小路は拳に魔力を集中させ、天野の目の前に着地してその渾身の一撃を男に叩き込もうとする。
 覚悟しろ! 勘解由小路は拳を前に突き出した、筈だった。
「あれ」
 勘解由小路の視界は上空を向いていた。何で? 勘解由小路はその意味が解せなかったが、視界の端に捉えた黒髪の少女の本が光っているのを見て、ようやく理解した。
 だから、言ったじゃない。
「謀ったな、この美少女め」
 勘解由小路は口惜しそうにぼそりとそう呟いた。