ロストミソロジー 十三章:古き堕神

 ホテルを南西に進んだ所にあるポートランドタワーの北入口前、そこで弓納は辺りを見回していた。
 無人であった。どこもかしこも人という人の気配がない。港地区というのはポートランドタワーを始めホテルなどがあるため、当然夜になっても人が歩いていて然るべき場所である。仮に様々な要因が重なって偶然客がいない事態が起きたのだとしても、そこには必ず職員等の誰かしらが居る筈であり、人が一人もいないなどということはこれまでなかった筈だ。
 だが、事実として誰一人この空間には存在していない。そのことを弓納は突き付けられ、少しずつ焦燥感を覚えていった。
 神隠し。それも、子供大人を問わない、それどころか、こんな大勢人が集まるような場所、しかも都会の真ん中で平然と起きてしまっている。
「さや」
 思わず姿を消してしまった友人の名を呟く。信じたくはないが、もしこの異常事態をあの子が引き起こしているなら、自分は。
 ふと、視界の端を何かが横切った。弓納は咄嗟に振り向く。すぐに物陰に隠れてしまったそれは、確かに白く輝く髪をなびかせていた。
「待って!」
 さやだ、弓納はすぐに確信し、その人影の消えた方向を追っていく。
 人影の消えた物陰の方へ曲がると、女の子と思しき人影が道路を隔ててホテルの南に位置する広場へと走っていくのが見えた。
「気付いてないのかな。何で逃げるんだろう」
 ひょっとして誘っているのだろうか。弓納の胸の内には様々な疑問が渦巻いていたが、その心の整理をするより先に、とにかくさやを追いかけなければという気持ちが勝っていたので、一旦それらの疑問を内に差し置いて、弓納はその人影の後を追っていった。
 車の通りの全くない道路を横切り、レンガの敷き詰められた道を駆けていく。目の前の人影はそんなに早く進んでいない筈なのに、何故だか一向に追いつくことが出来ない。弓納は彼女に追いつくために少しずつそのペースを早めていく。
 広場の中心でその人影は止まった。弓納も見失う心配がないことを分かり、ペースを緩めて少しずつその人影に近づいていった。
「ねえ、さやだよね」
 恐る恐る弓納はその人影に尋ねた。何故こんな所にいるのか、今何が起こっているのか、それに、これはさやが起こしたことなのか。色々なことが胸に飛来したが、それらの衝動を抑え、弓納はその人影の返答を待った。
 広場に冷たい風が吹き付ける。不気味なくらいに無音の広場で、その人影はそっと後ろを振り向いた。
「えっ」
 カオナシ。そこにはあるべき筈の瞳、鼻、そして口はなく、ただ皮を剥いた卵の表面のようなのっぺりとした白い空間があるだけだった。
「えっと、さや、それってのっぺらぼうの物真似、かな?」
 戸惑いつつ尋ねる弓納にそれは何も答えない。弓納はその人影の尋常でない様子に思わず後退ろうとした。
 そういえば、以前にも似たようなことがあった気がする。それは確か……
 その時、その何もない顔に亀裂が生じ始め、ぐにゃり、と歪んだ口元が現れた。
「オマエ、アノトキクッテオケバヨカッタ」
 さやだと思っていた人影がその口をあんぐりと開けると、そこから白い手のようなものが出てきて、弓納の首根っこを掴もうとした。
 しまった、弓納は後ろに跳躍しようとするも、既にその腕は弓納の首根っこを掴む寸前であった。やられる、そう思った時だった。
 手は弓納の首を掴むことなく、その目の前の何もない空を掴んだ。その口から出た腕は途中で切断されており、切断面から血が吹き出していた。
 腕の持ち主は高い声や低い声がいくつも混ざったような呻き声を上げながら、後ろに軽く跳躍する。そして己の安全を確かめてから、その腕を切断した張本人がいると思しき方角を向いた。
 広場の端に建っている街灯時計の上に女の子がいた。黒い腰までの長さのローブを身に纏い、鮮やかな金の髪をなびかせ、頭には黒を貴重としたトンガリ帽子を被ったその少女は杖のようなものをこちらの方に差し向けている。
「小梅ちゃんだね? よかったよかった。間一髪だったねー」 
「その声は」
「そうそう、勘解由小路だよー」
 勘解由小路は呑気に片手を振って弓納に挨拶をする。
「ありがとうございます。助かりました」
 少女の風体に戸惑いつつ、弓納は大きな声で言った。
「なんの、困った時はお互い様よ。それよりそいつから意識を逸らさないで」
 勘解由小路は杖でその黒い人型のそれを指し示す。それは、まるで観察でもするかのように勘解由小路を見つめている。
「こいつ多分秋月さんの報告にあった――」
「ファントム、ですか」
「そうそれ」
「気をつけてください。この人は分裂します。後、他人に化けます」
「うん、みたいね」
 勘解由小路は片手を横に広げた。その手に持った小さな杖の先から、小さな火の玉が形成され、それは瞬く間に煌々とした火の塊と化した。真昼のように辺りを照らすその火の塊は、その黒い影の存在を一層くっきりと浮かび上がらせる。
「一応聞いてみるんだけど、ここらの"異界化"は貴方の仕業かな」
 少女はその人影に語りかけるが、それからは一向に反応がない。 
「はて、口が利けないのか、聞く耳を持たないのか。でもま、確実なことが一つだけ。貴方みたいのを野放しにしておけない、つまりはだ」
 勘解由小路は杖を持った手を大きく後ろに引く。
「ここで叩き潰すってことさ!」
 少女は、そのあまりにも黒々とした影目掛けてその火の塊を放った。