鬼姫奇譚 一章:目撃、そして

「ねえ聞いた?」
「はい? ええと、何を」
 昼休みの清道館高校。弓納は弁当を頬ばりながら手で口を抑えて友人の問いに応える。
「あれよあれ。演劇部の伝説の未完劇!」
 友人の寺山は興奮したようにまくし立てるが、その興奮ぶりとは裏腹に弓納は首を傾げるばかりである。
「伝説の、未完劇?」
「もう知らないの? 伝説の未完劇『0の証明』。学生作品といって侮るなかれ、それは完成度のあまりの高さから、清道館という狭いコミュニティのみならず、市井にも密かに知れ渡っている名作なのよ。この高校の学生なら割と誰でも知ってるよ」
「そんなものがこの高校に……でも、寺山さん。それが一体どうしたの?」
「智明君の推理で遂に見つかったのよ、結末部分を描いた脚本が」
「じゃあ大ニュース、だね。校内新聞にも載るかな?」
「それはもう! まあ、智明君のしてやったり顔と一緒にだろうけどね」
 寺山は半目にしながら言う。
「あはは、それは仕方ないじゃない。だって功労者なんだから」
「だとしてもだよ。ああ、あのちょっと気障な所はどうにかならないかしら。あ、頭叩いたら治ったりしないかしら」
「やめなさい」
 弓納は苦笑いする。
 弓納は菅原市内にある清道館高等学校に通う女子学生である。彼女は他の学生と同様に学校生活を送り、苦手な科目があり、運動神経の良いちょっと寡黙な文学少女として一部の男子生徒から人気であった。無論、一部から並々ならぬ好意を抱かれていることを彼女は知らないし、自覚もしていない。そしてそのことが一層男子生徒達の心を駆り立てているという一見不可思議な関係が成立していた。
 ただし、そうしてまっとうな生活を送っている彼女には「およそ普通とはいえない秘密」があった。
 それは「客士」として、世の中に蔓延る異界の住人を相手にしていることである。
 もし秘密がバレれば学校生活にも支障が出るであろうし、何より他の学生に危険が及ぶ可能性もある。それに、そういう裏稼業をしているのを知られるのはなぜだか少々恥ずかしい。それゆえに、彼女はそれをひた隠しにしている。
「じゃあ、ちょっと図書館に本を返しに行くから」
 席を立つ弓納。それを寺山は、「あいよ~」と気の抜けた返事と共に手を振って弓納を送り出す。
 本を返しに行くとその拍子にまた本を借りてしまう。その本を返しにいくと、また別の本が気になって借りてしまう……これでは永久ループだ、弓納はそんな他愛のないことを考えながら図書館へ続く廊下をひたすら歩く。
「弓納さんね」
 背後から女の子の声がした。取り留めのない思索を巡らしていた弓納が振り返ると、そこには少しウェーブのかかったセミロングの少女が仁王立ちしていた。
「え、はい。まさしく弓納ですが、どうしましたか?」
「ちょっと大事な用があります。これから付き合ってもらえないかしら?」
「う~む。ですがこれから私は本を返しに」
「むむ、逃げようとしたって無駄よ。っていうか、本は放課後にでも返せるでしょう」
「あ、それもそうですね」
 弓納は笑った。
「もう、調子狂うわね。でも、さっきのはごめんなさい。いくらなんでも唐突過ぎたわ」
「いえ、そんな」
「私も大事は大事だけど急いでいるわけじゃないから。放課後にここに来てちょうだいな」
 そう言うと少女は弓納に丁寧に折りたたまれた紙切れを渡す。弓納がそれを開くとそこには「××日 〇時 文芸部室」と綺麗な字で書かれていた。
「無理なら、他の日を提案するけど」
「ああいえ、別に問題ないですが」
「よし。じゃあまた放課後ね、弓納さん。楽しみにしているわ」
 ウェーブのかかった少女は、少し口元をにやけさせながら言った。