プロローグ 第四章:異様

男「やあ諸君。こんな夜更けに立ち入り禁止の学校を闊歩しているとは感心しないね」
太(だれ……?)
男「それに何やら、いかがわしい現場だ」

男「このまま見過ごすわけにはいかんな」
太「斧……?」
化物「ググググ」
太(よかった。助けてくれる? みたいだ)

―― 数分後

予期しない来訪者に襲い掛かっていた蜘蛛の化物は、次第に押されるようになっていた。
男は人間離れした動きをしている。
あるいは、異形の怪物と対峙しているという異常な事態がそう思わせるているのかもしれなかった。

化物「ウウウウウウウ」
化物は息を大きく吸い込む。
太「危ないっ!」
太の叫びにほぼ重なる形で化物は勢いよく息を吐く。

天野「おっと」
化物の口から出たものは只の空気圧であった。
天野に躱されて行き場の失ったそれは、しかし講堂にぶつかるとまるで大砲のように壁を砕いた。
天野「困るね。誰が弁償するんだ、これは」
天野はその惨状を見ても平然としている。まるでこれくらいのことは当然だと言わんばかりだ。
天野「さてと。君はまだ何か秘策でも持ちあわせているかな。だとしたら少しは待ってやっても構わんが」
化物は何も答えず、只沈黙する。
天野「だんまりということは、ないということでいいかな」
化物「グウウ」
蜘蛛の化物は少しずつ男から距離を取り始める。
男「逃げる気か。そうはさせん」

男はいつの間にか弓矢を構えていた。狙いは徐々に後退していた化物を正確に捉えている。
男「ではな」
シュッ。空を切る快音が響いた。

アアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!

化物はその場に倒れこみ、やがてピクリとも動かなくなる。
太(た、助かった?)
男「はあ。深夜にお勤めしても手当は付かないからな。やるなら日中にしてほしいものだ。ま、俺も日中は日中で忙しいが。さて」
男は太の方を振り向く。
太「あ、あの」
男「大丈夫かな? 太君」
太「え、なんで名前を?」
男「君のことは知っているよ。まだアンダーグラウンドだが、売り出し中の作家だろう。本名の方は、少し調べさせてもらったがね」
太「そ、そうですか。それはどうも。ところで、貴方の名前は」
男「ああ、そういえば自己紹介がまだだったな。私は天野幸彦。ちょうど君の通っている大学で教鞭を執っている者だ。といっても、非常勤だがな」
太「はあ先生ですか。……っえ!?」
天野「ははは、予想通りの反応をしてくれたな。あまりに予想通りなので、こちらも驚いてしまった。それはそうとして、そう驚きなさんな。私も食っていかねばらなんのだ」
太「いや、そういう問題では」
天野「細かいことはいいじゃないか。それより君を見張っていて正解だったよ。案の定ここに来て、彼奴が現れた。おや、解せない顔だな」
太「君を見張っていてって、じゃあ、僕がここに入ってきたのは最初から気づいていたんですか?」
天野「いや、誰か入ってきていたのは最初から気づいていたが、それが太一だという確信はなかったよ。まあ校門を見やると君のような子がいたものだから、十中八九そうだろうとは思っていたが」
太「……じゃああの時資料室の前にいたのは貴方だったんですね」
指摘されて、何かを思い出すように天野は目を伏せる。
天野「ああ、そういえば君を見た時そこら辺を歩いていた気がする」
太「やっぱりそうでしたか。ああ、それであの。話を濁されないように聞いておきたいのですが、なんなんでしょうか、あれは」
天野「あれ? あああれか。ふむ、そう思うのも無理は無い。なんせあれは」
太「物の怪、でしょうか?」
天野「ほう、流石は、といったところか。まあ大体そんなものだ。先ほど現れたあれは恐らく、"土蜘蛛"という類。とはいえ、ここで元々噂になっていたものとは随分と趣が違ったな」
全く、人の見聞とは適当なものだ。天野は付け加える。
太「そうですか」
天野幸彦「あまり驚かないんだな。いやむしろ、こちらの方が驚かされたもしれん」
太「……何故?」
天野「この事態にさして動じていないからだ。そして、取るに足らない程度だが君に呪術の心得があることもだ。直に見てはいないが、この痕跡がそれを示している」
化物の体にまとわりついていた人紙の破片を拾い上げながら天野は言った。
太「ああ、そういうことですか」
太は得心のいった顔をする。
太「昔から、ちょっと奇怪な出来事に出くわす事が多かったんです。そのどれもが他愛もないことばかりだったのですが」
天野「ほう。ではその呪術は」
太「僕の身を案じた祖父によって授けられました。いつでも自分の身を守れるように、と」
天野「なるほど」
太「まあそうはいっても、御覧の有様ですけど」
それから一呼吸おいておもむろに口を開ける。
太「だけどこんな出来事は初めてです。あんな化け物、今まで会ったこともない」
天野「そもそも出くわさない方がいいだろうよ。遭ったところで何の役にも立たない。せいぜい危険な目に遭うか、無事に済んでもトラウマを残すのが関の山さ」
太「それもそうですね」
天野「さ、太君。後始末は私がしておくから、今日のところは大人しく帰りなさい。もちろん、このことは他言無用で。記者なんてもっての外だ」
太「はい。最後に一つだけいいでしょうか」
乱れた服装を整えて入口へ向かおうとした太は言った。
天野「なんだい?」
太「先生はその、いつもこういうことをしているのでしょうか?」
天野「いつも、というわけではないが、有事の際はこういうことをしている。何分見返りが、おっと、その話はここまでだ。ささ、早く帰った帰った。くれぐれも暴漢には気を付けるように」
釈然としない太を急かすように言った。まだ聞きたげな様子であったが、太はしぶしぶ入口の方へ向かう。

天野「さて」

天野「何かを追うように彼は入ってきたが、一体誰が彼を引き込んだのかね」
天野は先ほど自らが対峙した化け物の方に体を向けながら、誰にともなく呟いた。
天野「……まさかな」

プロローグ 第四章 終わり